若手教師と学びつながる???
雑誌で「若手教師と学びつながる」という特集が組まれているということは、この雑誌がいかに「年輩目線」で編集されているかのあらわれだと思ったのですが、誤解であることを期待しながら読んでみると、そこには残念ながらまさに「若手との断絶」をあらわに表現した「年輩」教師の独り言で満載でした。
コピペが繰り返し使われているような次の文言、
文部科学省は、教育を市場化し、私たち教師の自主性を奪い、管理・統制を強め、競争、評価を持ち込む「教育改革」を行い、私たちの大事な研修時間さえ奪っている。私たちが忙しいと感じるのは、今までの教育制度の反省なしに、金をかけないで教育問題をなんとか乗り越えようとする行政の愚かさからくる忙しさなのである。さらに学習指導要領改訂によって、ゆとり教育から授業時間を増やし、解決しようとしている。学校現場はその授業時間確保に混乱を招くであろう。今より余裕が生まれることはまず難しい。(国土社の雑誌「教育」12月号・106頁より)
どんなにたいへんな毎日を過ごされたのかと思いきや、「昔は遊びがあった。放課後は今のように学校内外の会議もなく、バドミントンやバレーをして交流していた(勤務時間に?)」「学校内での飲み会も多く、行事や校内授業研ごとに会を設けていた(校内で飲酒?)」・・・
「50代が、若い人からみて少し余裕があるのは先がみえているから(確かに忙しそうではない・・・)」
「仲間との対話がたくさんあった」というのは、教師としてはとてもめぐまれた環境であったことはたしかだと思います。ただ、それは大量採用の時代だったために、同年輩がたくさんいたということです。
今、数少ない「若手」と会話ができないのは、本当に「忙しいから」でしょうか?
「若手教師と学びつながる」という特集なのに、若い頃の回想録になってしまっている。
他には、若い教師の生活指導のまずさを記事にして、「こうしなければいけないのに」という原稿。
この原稿は、その若い教師に向けて書いて読ませるためのものだったのかどうか?でも書き方は対話形式ではありません。
極めつけは、25年前の自分との対話形式の原稿。
これで本当に「若手教師と学びつながる」ことをめざしているのか?
そんな印象ばかりの内容でした。
やはり一番の心配は、教師は「自由」をどういう意味で使っているのか?ということです。
社会人が、自分の職場に求める「自由」って何でしょう?
中学生を「荒れさせたくない」、だから校則やきまりでしばる、子どもたちに自分が求めたくないことを要求することはつらい、それにとらわれない自由な教育ができたら、毎日の学校生活は楽しいものになるにちがいない。・・・・本当に???
「管理体制から自分が自由になれないことが、一番の問題」・・・???
こういう教師たちとの感覚のずれに、若い教師はとまどっているというのが現状なのでは?
昔は、先輩教師からみんなこのような話を聞かされ、校内で飲み会をしながら、教師たちは育っていったのでしょうか?
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