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子どもに考えさせている「責任」

[学習指導要領] ブログ村キーワード

 学習指導要領に準拠した指導計画によって意図的・組織的に教育活動を展開している学校が、「責任」についてたとえばどのような内容の指導を行っているのか、簡単にご紹介します。(以下、コメント欄に書き込んだ内容になります。) 

 新学習指導要領から「責任」にふれている道徳の内容をご紹介しますと、
 小学校高学年では、
 「主として自分自身に関すること」の中に、「自由を大切にし、自律的で責任のある行動をする」というもの、
 「主として集団や社会とのかかわりに関すること」の中に、「身近な集団に進んで参加し、自分の役割を自覚し、協力して主体的に責任を果たす」ことが示されています。

 中学校では、
 同様に「主として自分自身に関すること」の中に、「自律の精神を重んじ、自主的に考え、誠実に実行してその結果に責任をもつ」というもの、
 「主として集団や社会とのかかわりに関すること」の中に、「自己が属する様々な集団の意義についての理解を深め、役割と責任を自覚し集団生活の向上に努める」と示されています。

 このような内容に照らして指導対象になる具体的な行動があるとき、個別指導だけに重点をおく場合もあるかもしれませんが、その生徒だけがたまたま目撃され、他の生徒も同じ行動をとっているのに指導されないというのは適切でないので、全体指導を優先して、その後に意義の理解を確認するために個別指導を行うなど、その組み合わせも様々なバリエーションがあります。

 いずれにせよ、「責任」とは何か。「自由」や「自律」とは何かを考えさせる指導=「責任追究型」指導にならないと、本当の意味での「生活指導」にはなりません。

 生活指導の「正しい方法」を見極めるのは、本当に難しいことです。
 ある指導で成功した方法が、他の生徒のときには失敗するかもしれない。そんな落とし穴を戒める意味で私が教訓にしているのが「成功は失敗のもと」です。

 「正しかったかもしれない」方法についても、なぜそれで(短期的・中期的には、という意味でしか中学校教師は言えませんが)成功したのか、というふり返りは常に行う必要があります。

 逆に、「明らかに間違っている」と思われる方法・・・たとえば、教師がある特定の生徒を指導するときに、職員室という、他の教師も見ている場所で(他の教師が参加しているならいいのですが)行うのは間違っていますが、なぜこういう方法が平然と行われている学校があるのか、ということを問うていく必要もあると思います。

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教育」カテゴリの記事

コメント

┐(´д`)┌ヤレヤレ
><職員室を「生徒がいつ入ってきてもかまわない場所にするのがよい」と主張している教師>
の話題から、「職員室内での生活指導」に移りましたか。

自分の書いた記事じゃない。読んでみなよ。
職員室がダメで違う小部屋がいいと言うから、
そりゃリスクが高いだろうと指摘したら、
暗象がわけのわからんことを質問しだしたんだよ。

結局、私には「明らかに間違っている」と思われる方法・・の「明らか」が全く明らかになっていないけど、ここでまた「 」が付いています、で終わるんだろうね。

そう思って読むと、暗象は何も明確なことは発信していないんだね。ただ他人の批判が好きなだけなんだ。(^O^)

<職員室を「生徒がいつ入ってきてもかまわない場所にするのがよい」と主張している教師>
の話題から、「職員室内での生活指導」に移りましたか。

職員室を生活指導の場にはしないというのは、今までご説明した理由を含めて、教師の暗黙の了解のもと、ルール化されているところが多いと思われます。
「明らかな間違い」というのは私の経験をふまえての指摘であり、そういうことが常態化し、だれも何も指摘しない職場環境ももちろんあるかもしれません。
学校は公的な場所ですが、その内部にはさまざまな意味をもった「公的空間」があります。
その空間が何の目的で存在しているものであり、何の目的では使用すべきでないかは、使用者が決定していくことになるのですが、教師を使用者として想定すると、設計上、本来子どもが上がってはいけなかったはずの屋上に上がり、死亡事故がおこった例をひくまでもなく、そのときの自分の都合だけで行動する例がたくさんあります。
もし、職員室を大勢の生徒たちとわきあいあい、語り合う場所という目的で使用したいのであれば、他の目的が犠牲になるとか、職員室に入れない子どもへの目が行き届かなくなるとか、何が失われているかも想定しなければならないということです。
さすがに他の教師が仕事をしている中で、親子を呼んで「悪行」の指導をする教師はいないでしょうが・・・。

(・_・)エッ....?
>「明らかに間違っている」

とまでは思っていないが?
ケースバイケースという程度だよ。
私の常識と暗象の常識には大きな差があるから、
「明らかに間違っている」理由を知りたいだけ。

>遠慮すべきだなと思われたことはありませんか?・・・>普通の人ならあるんじゃないの?

おわかりいただいているようなのですが?

(´,_ゝ`)プッ
>机の上に見られては困るものがあるという理由だけ

そんなことより、
職員室じゃダメだという理由を挙げるべきでは?

つまり、机の上に見られては困るものがあるという理由だけで「生徒がいつ入ってきてもかまわない場所にするのがよい」という言い方を批判しているわけではない、ということですね。

(○゚ε゚○)
またはじまった…

>入るのは遠慮すべきだなと思われたことはありませんか?

だから?
普通の人ならあるんじゃないの?

いちろうさんは、こういうときは職員室に入るのは遠慮すべきだなと思われたことはありませんか?
生徒としてでもけっこうですし、保護者としてでもけっこうです。

( ^ω^)
>「入ってもらっては困る時間帯や時期」があるからです。

おっおっおっ( ^ω^)おっおっおっ

>教師がある特定の生徒を指導するときに、職員室という、他の教師も見ている場所で行うのは間違っていますが…

またいつもの、判断もできない先生がいるという話なのか?
これまた随分、変な話になったね。

「いつ入ってきてもかまわない場所」であっては困る理由は、「入ってもらっては困る時間帯や時期」があるからです。

ヘ(゚∀゚ヘ)アヒャ
誹謗中傷なのか?
じゃぁ、なんで職員室に子どもが入ったらダメなんだ? 普通に出入りしていた記憶があるが? あっ、掃除当番まであたっていたぞ。

>「暗象の机には見られちゃ困るものが散乱している。」

私はこれを誹謗中傷と受け取りました。
そんな「ちっちゃなプライド」が積み重なって、かろうじて教師を続けていられるのでしょう・・・。

o(*^▽^*)o
>職員室を「生徒がいつ入ってきてもかまわない場所にするのがよい」と主張している教師がいますが、それはどうかと思います。

そりゃそうだ。
暗象の机には見られちゃ困るものが散乱している。

今回は、回答だけをまとめた記事にいたしますので、そちらをご覧下さい。

生徒指導の発想として、生徒が望まない形はとらずに、効果が期待できる指導の形を工夫しようとすれば、一律に決まるわけではありませんが、一定の形ができていくでしょう。
意地でも職員室で指導されることを望む、という生徒がいれば、今度は他への悪影響を考慮に入れつつ、対応することになります。
職員室を「生徒がいつ入ってきてもかまわない場所にするのがよい」と主張している教師がいますが、それはどうかと思います。

(ノ∀`) アチャー
今度は「密室」かよ。子どもに聞いてみな。
こんなやりとりで、またコメントを下へ追いやる?

密室には「他人に知られないようにした部屋」という意味があることぐらい、先生なら知っているでしょう。そして、暗象は、以下のように書いています。

>「そこで話されていること」が他の人に聞かれてしまうことがない安心感をもてるところです。
投稿: kurazoh | 2008/12/11 19:08

話されている内容が知られるオープンな部屋じゃないことを、自分で書いているじゃない。

自分に都合よく、解釈を拡げたり狭めたりするからダメなんだって。

で、回答は?

「密室」での指導というのはどこからでた発想ですか?

┐(´д`)┌ヤレヤレ
>嫌われるということが、いかに大きなリスクを背負うことになるか、よい教訓をご紹介いただきました。

そんな話なのか?

読者の子どもたちに聞いてくれないか?
子どもの感想が欲しいな。

K先生が、非行少女のA子さんを、人目につかない相談室へ呼びだし、説教をしました。直後、A子さんが親に「K先生にセクハラされた」と訴え、事件になりました。結局、Kが先生という立場、A子は普段から素行が悪いということ、密室での出来事なので、K先生が注意をされただけで終わりました。
ということがあったとします。
後日、A子の母が、K先生のブログを見つけました。そこには「心の中で何を考えていても、口に出さなきゃいい」とか「相手を嘘つきと言った方の勝ち」といった考えが語られていました。

さて、子どもたち。
K先生が子どもに説教するのは、職員室がいいですか、密室がいいですか?

嫌われるということが、いかに大きなリスクを背負うことになるか、よい教訓をご紹介いただきました。
だいたい、そのリスクを避ける教師ばかり増えているので心配はいらないと思いますが。

ヤッテラレンワ…ヽ(○´3`)ノ フッ
>「暴力」はどの程度以上がそれに当てはまった

保育園児以下?
小突いたとかパンチだとか…そういう問題か?
私が受けたのが体罰。
暗象が同じことをしたら暴力。
そういうことじゃないの?

当時の「暴力」はどの程度以上がそれに当てはまったのでしょうか?

(*^ー゚)bグッジョブ!!
>暴力を受けても嫌いになることはない、そういう関係性が育まれる環境をすばらしいと言えるのか、どうか。

当時は「体罰=暴力」じゃなかった。
そういう認識が、双方になかったと思うよ。

暴力を受けても嫌いになることはない、そういう関係性が育まれる環境をすばらしいと言えるのか、どうか。
そんなことを考えていました。

ε-( ̄ヘ ̄)┌ ダミダコリャ…
>体罰は、もちろん、暴力そのものではなくて、相手の教師の「心の姿勢」のことを指されているのですよね・・・?

だから何?
当時の先生の心なんて知らないさ。
でも、嫌いじゃないよ。
暗象が先生だったら体罰以前に拒否しているよ。

当時いちろうさんが受けた体罰をいちろうさんが受け入れていらっしゃるのは、もちろん、暴力そのものを容認されているわけではなくて、相手の教師の「心の姿勢」を受け入れたという意味ですよね・・・?

`;:゙;`;・(゚ε゚ )ブッ!!

>(体罰は)当時も現在も否定せず受け入れているよ。

なんで括弧の中が(体罰は)なんだ?
国語力がある?
(当時受けた体罰は)だよ。国語、できますか?
どこへ引っぱっていきたいのかは知らないけど、
素直にお読みになっていただければ、
おわかりのことと思います。
是非、読解力をおつけくださいまし。(^O^)

>(体罰は)当時も現在も否定せず受け入れているよ。

これは、もちろん、暴力そのものではなくて、相手の教師の「心の姿勢」のことを指されているのですよね・・・?

(○゚ε゚○)
>体罰をふるった教師の態度が、いちろうさんにとって「あり」だったと感じられたのか、「なし」だと感じられたのかをお聞きしていました。

面倒くさいね〜  (^_^)
当時も現在も否定せず受け入れているよ。
以前に「私は、自分の歴史を否定はしないよ。そうやって育ってきたんだから」と書いたじゃない。ありなしじゃなくて、あったことだし、それには何も思っていない。
これ以外の違うことを書いて欲しいの?
何を聞いているんだか…?

何度もお答えいただいて恐縮です。
いちろうさんへの体罰をふるった教師の態度が、いちろうさんにとって「あり」だったと感じられたのか、「なし」だと感じられたのかをお聞きしていました。

pig
>ありか、なしか、という意味でお聞きしています。

私は、我が子3人に対して、
一度も手を上げたことはない。
声を荒げて叱ったこともない。

以上でよろしいか?
何を知りたいのかわからないけど、
私は問われたことは誠実に応えているよ。(^O^)

良い・悪いとはうかがっておりません。
ありか、なしか、という意味でお聞きしています。
昔と今に分けてお答えいただいてもかまいません。

(゚Д゚)ハァ?
何だか…。体罰容認派か推進派に仕立て上げたいのはわかるけど、無理があるんじゃないの?

私は、自分の歴史を否定はしないよ。そうやって育ってきたんだから。だけど、今、同じことが良いか悪いかは、別の話だろう。
アポロ11号で月まで行って歩いてきたけど、当時のコンピューターとロケットを用いて今から月へ行けと言われたら、誰も行かないと思うよ。(^O^)

いちろうさんにとっては、「体罰もありだった」わけですか。

(´,_ゝ`)プッ
>子どもがそういう「悪者」なので、体罰もありだと主張されているわけですね。

またかよ。
誰が体罰しろと言った?
私がされたと書いただけ。

はむれっとさんへ。
ご指導ありがとうございます。
現場の指導の具体に入ってくればくるほど、実践感覚をお伝えするのが難しくなりますね。
学校の常識は、世間の非常識が多いのです。
逆もありという話ですね。
現場を知れば知るほど、驚くべき発見があるものです。
学校が変われば、「しきたり」も変わります。
なるべくわかりやすくお伝えしようと思っていますが、それが真実であると押しつけるつもりは全くありません。
異論・反論がたくさんある方が、思わぬ発見をするきっかけになる可能性が高まります。

>リスキーだね。
>体罰されました。セクハラされました。…
>子どもがウソをついたら、どうするの?

テレビドラマでもそんなことがあったような気がしますね。
子どもがそういう「悪者」なので、体罰もありだと主張されているわけですね。

kurazohさんへ

>「特定の生徒」と書いた内容のニュアンスはこんなものを指しておりました。
 あーん、そう言う事か、何か落とし穴に嵌った気分だ。
分かりました、と思う。kurazohさんの言う事が全部分かったか自信はないけどね。

ただね、恨み言の愚痴のkurazohさんへの非難になるかもしれないけれど、
kurazohさん、あんた例示が下手というか、あなたの常識がみんなの常識ではない。
帰国子女の「気が付きにくい常識」と一緒。
 例示する時には、「例えば・・・」と書き始める。これは「これから一例を書くね
具体例ですよ」という意味を内包してるのと同じ。だから読み手は具体例の中に
あなたの言いたい事があると思うのが普通だと思う。例示の中に漠然とした書き方が
されていたらそれは分かり易くするための省略と受け取るのが普通だと思う。
>教師がある特定の生徒を指導するときに
の「ある特定の」という語句が具体例と言えるでしょうか?。
kurazohさんは書き手だから「ある特定」の中身は知ってるだろうし
常識だと思ってる様だけれど、読み手である私は「ある特定」というのは
省略して読んでも良い所と思うしkurazohさんの意図はそこに無いと思ってる。
「例えば・・・」と書き出すなら重要な要件は具体例として書くべきかと思うぜ。
そこに意味が有ったとは、落とし穴に落とされた気分。
後だしジャンケンか~?。
今度から落とし穴に気を付けよう、、、出来れば作らないで欲しいな。

思いを伝えるって難しいぜ。ブツブツ

( ̄ー ̄)ニヤリ
>「そこで話されていること」が他の人に聞かれてしまうことがない安心感をもてるところです。

リスキーだね。
体罰されました。セクハラされました。…
子どもがウソをついたら、どうするの?

これが正しいとは思えない。
現実的ではないな。

叱られる側にとっての「安心感」って何だ?

はむれっとさんへ。
「学校の常識は、世間の非常識である」というときに、「学校と世間」は違う、という立場で語るのであれば、学校では何でもできてしまいます。
ただ、「世間ではこういうやり方はとらない」ということを子どもに教えようとするならば、学校のおかしな「常識」は疑ってかからなければなりません。
「職員室での指導」は、もちろん「爪は切っておいでよ」とか、「前髪がちょっと長いね」くらいなことなら問題はありませんが、「悪行」への指導となると、別の話です。
「特定の生徒」と書いた内容のニュアンスはこんなものを指しておりました。
帰国子女の子どもが来日直後に不適応をおこすのは、だいたい「気がつきにくい非常識」が原因です。
生活指導では、教師が子どもに向き合うことよりも、子どもが自分自身に向き合うことができる環境を用意してあげることが大切です。
そういう意味で、かなり強い表現で否定しています。

kurazohさん、こんばんは

 「明らか」にという語句を添えた理由としては説明力がいまいち納得出来ないです。「明らかに間違い」と言われれば、殆ど全否定だと思われるけれど、kurazohさんの説明は部分否定の域を出てないと思う。一理は有るけれど、全否定の語句として同意は出来ません。
個人的評価の表明と受け取らせて貰います。

相談室は、「そこにいる」ことを知られないための場所ではなくて、「そこで話されていること」が他の人に聞かれてしまうことがない安心感をもてるところです。

( ´艸`)プププ
>相談場所として、「教育相談室」のようなもの、あるいは「進路相談室」のような「人目にふれない」場所が各学校にはあるはずです。

私がよく行った監禁部屋も人目にはふれづらいし、
休み時間、部屋から出ることを禁止されていたけど、
友だちはみんな知っていたよ。

先生の自己満足か?

東京都では、全中学校にスクールカウンセラーが配置されていますが、相談場所として、「教育相談室」のようなもの、あるいは「進路相談室」のような「人目にふれない」場所が各学校にはあるはずです。
もちろん、職員室や教室で指導しても「何とも思わない」子どももいるかもしれませんが、「周りの目」があることは、指導上、プラスよりマイナスの方が大きいと考えられます。
あまりにも当然のように行われてきたことに、わざわざ疑問符をつける作業というのは煩わしく感じられるかもしれませんが、そういう点検をし続けていくと、学校で改善すべき点が必ず見えてくるはずです。

こんばんは、アップし直しですか?。

職員室に呼び出しが明らかに間違った方法ですか?。
先生達の好奇に目に晒すからですか?。
晒しものにしてるから晒しものになってると生徒が感じるとは限らない。
逆も有るのでは、生徒の目に晒すより先生の目に晒される方が楽と感じる生徒も居るでしょう。
例えば好きな子が居る教室で叱られる位なら職員室でも校長室でも裁判所だって構わないと思う生徒は沢山居ると思いますが?。
そんな生徒には教室で叱るより職員室で叱った方が良い理屈になりませんか?。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第1巻より
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  • 静寂に染まりきれば、ふたたび起つことはない。生きるということは、起つ、ということだ。自然の静謐に異をとなえることだ。さわがしさを放つことだ。自分のさわがしさを嫌悪するようになれば、人は死ぬ。
    「楽毅」第四巻より
  • 人というものは、自分のやっていることをたれもみていないと思い込んでいるが、じつはたれかがみており、やがて賛同してくれる人があらわれる。
    「春秋の名君」より
  • 寵を受けても驕らず、驕っても高い位を望まず、低い地位にいながら怨まず、怨んでもおのれを抑えることのできる人は少ない
    「沈黙の王」より
  • 小さな信義が、きちんとはたされてこそ、それがつもりつもって、大きな信義を成り立たせる。それゆえに、明君は、小さな信義をおろそかにせず、つねに信義をつむように、心がけるものである
    「歴史の活力」より
  • 奥の深いことと、表現がむずかしいこととは、むしろ逆の関係にある。むずかしい表現のほうが、ぞんがい簡単なことをいっている場合が多く、やさしい表現のほうが、奥の深いことをいえる。
    「歴史の活力」より
  • 黄河の流れは悠久とやむことはない。河床もあがりつづけるのである。いくら堤防の高さをましてもらちのないことであった。
    「侠骨記」より
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    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 外をもって仕えている者は信用するに足りぬ。つまり男でも女でも内なる容姿というものがあり、その容姿のすぐれている者こそ、依恃(いじ)にあたいする。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
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    「晏子」(第四巻)より
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    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より