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「街場の教育論」より その2 教師にとっての師の存在

[教師] ブログ村キーワード

 大学の教師が書いている教育論で、「古典に学べ」という考え方が出てこないものはありません。
 内田樹の「街場の教育論」でも、第7章で登場します。
 第7章では、師弟関係がテーマになっていますが、この話は、現場の教師にとって、どのように受け止められるものなのでしょうか。その場にいない、「師の師」がポイントになっています。

 この章で内田が言いたいことは、次の一節に集約されています。
 

教師が教壇から伝えなければいけないことは、ただ一つです。
 「私には師がいます。私がここでみなさんに伝えることは、私が師から伝えていただいたことの一部分にすぎません。師は私がいま蔵している知識の何倍、何十倍もの知識を蔵していました。私はそこから私が貧しい器で掬い取ったわずかばかりの知識をみなさんに伝えるためにここにいるのです」
 これで十分なのです。(152頁)

 思えば、私が今教えている教科・分野の「師」としてとても尊敬できる人に、中学校時代の教師と、大学時代の教師がいます。
 この二人は同級生であり、今私が教えている、母校の先輩でもあります。
 今でも当時のエピソードを授業で紹介することがありますが、そのことを子どもに伝えていることの効果がこの章では紹介されていたわけです。

 ただ、内田樹が本当に言いたかったことは、具体的な人物として尊敬できる師というより、もっと「哲学的」な話だったようです。
 

・・・・。つまり、イヴィナスの知的可能性を開花させたのは、師から「教わったこと」ではなくて、「師を持ったこと」という事実そのものだったということです。
 「学び」を通じて「学ぶもの」を成熟させるのは、師に教わった知的「コンテンツ」ではありません。「私には師がいる」という事実そのものなのです。私の外部に、私をはるかに超越した知的境位が存在すると信じたことによって、人は自分の知的限界を超える。「学び」とはこのブレークスルーのことです。(155頁)

 最初の打ち込みで、知的境位が変換ミスで知的「教委」となってしまいましたが、私が新採のころなどは、まさしく知的で優れた指導主事がいるところが教育委員会であり、研修会や研究会で多くの知識・技能を授けてもらうことができました。
 今は、現場の教師にとって、「私たちの外部に、私たちが知的境位に達するのを妨害する文科省や教育委員会が存在するために、学校は知的限界の壁にぶちあたっている」という感覚が強いのでしょう。
 あるいは、初等中等教育の現場で、このような「私をはるかに超越した知的境位の存在」は信じることが可能なものなのでしょうか。
 知的限界について、この章の続く部分で興味深い記述があるので、また考えてみたいと思います。

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    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より