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教師のモチベーション

[教師] ブログ村キーワード

 教師が自分のモチベーションの在り方を語るとき、それを下げる要因になるものを主張してモチベーションを上げるタイプの人がいますね。

 昔、職員会議の場だけよくはりきっている教師を見たことがありました。
 教室でそれくらいがんばってくれればいいのに、と思うのですが、子どもの前では静かになってしまい、「笑っていればはむかってこない」などと言って生活指導の場からは逃げてしまう。

 人事考課制度にしろ、職員会議の在り方にしろ、自分の職務の在り方をしっかりと見つめればよいものに対して、それではモチベーションが上がらないというのは、「勉強しろ」と家で叱られて「そんなことを言われるからやる気がなくなるんだ」と言っている子どものようなものです。

 なぜモチベーションの向上を外に求めるのか。
 
 そのような批判を外に向かってする教師は、もし生徒に

 「どうして先生はもっと勉強のモチベーションを上げてくれるような授業をしてくれないんですか?」

 と問われたら何と答えるのでしょう?

 教師のモチベーションは、何によって支えられているのでしょう?
 
 昔、あることを続けていて、そんなことをしても給料が増えるわけでもないのに、よく毎日できますね、と言われたことがありましたが、なぜと言われても好きでやっているので・・・やめて下さいと言われたらつらいですが・・・としか答えられません。

 昨日は、霞ヶ関の一室で課長さんとお話をさせていただいたのですが、今は自らやる気をふるいたたせられるようなところではないと相手にされない、ということがよく実感できました。

 何でも人にたよろうとする甘い考えが、自分の首を絞め続けていることを早く認識しなければなりません。

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教育」カテゴリの記事

コメント

┐(´д`)┌ヤレヤレ そうだよ。

>大人・子どもの間に大きな壁をつくり区分すること

それは、単に「人間」の間に大きな壁をつくり区分すること・・・という意味で語られていませんか?

(゚ー゚)
>違いはあっていいんですね?

会話にならずに困ってしまう…。
私の主張は、
「大人・子どもの間に大きな壁をつくり区分することを、間違っていると言っています」
と書いているのに、
そのコメントのやりとりの中で、これかよ…。

何の違いを認めて欲しいんだ?
少なくとも、大人と子どもの違いじゃないよね。

>どこに違いがあるのか、理解している?
>まぁ、コメントのつけ方を見ていると、
>理解しようとも思っていないのか、
>理解できないのか、だろうけどね。

違いはあっていいんですね?

shock
>「子ども」とは、何歳から何歳までの人を指しているのでしょうか?

そこかよ…。
そもそも、この手の話を何回もしているけど、
毎回、どこに違いがあるのか、理解している?

まぁ、コメントのつけ方を見ていると、
理解しようとも思っていないのか、
理解できないのか、だろうけどね。

いちろうさんのおっしゃる「子ども」とは、何歳から何歳までの人を指しているのでしょうか?
私の場合はたいてい小中学生を「子ども」と呼んでいます。

(・_・)エッ....?
大人・子どもの間に大きな壁をつくり区分することを、間違っていると言っています。

なんで前振りや修飾の部分にしかコメントつけないの?
実生活で、コミュニケーションできてます?

>先生なら、1年目の人も30年目の人も同じなの?

公務員というくくりなら、全く同じ。
さらに、教諭という立場でも、全く同じ。
「不登校になる」教師、教育実習生がいるという意味なら、子どもとも同じ。
管理職や学年主任、大学教授が教諭や教育実習生の家庭訪問をするケースもあります。

(*^ω^*)ノ彡
>教師が子どもと同じになっている。

日本語の通じない人だねぇ…。
先生なら、1年目の人も30年目の人も同じなの?
人に接するベースは、大人も子どもも同じでしょう。
大人・子どもの間に大きな壁をつくり区分することを、間違っていると言っています。

>身近に変な先生が多すぎる

念のため、繰り返しますが、私は現在の実践報告は学会や研究紀要、正式な報告書等では出していますが、このブログでは扱っていないのでお間違いなく。

>自分の行いが正しいと考えている

>正しくは、子どもも大人も同じ
>子どもと大人の線引きはどこにある?

教師が子どもと同じになっている。
よく見た光景です。
いちろうさんは、確かに正しいですよ。

┐( ̄ヘ ̄)┌ フゥゥ~
>「管理」=「悪」は一部の人にとっては完全な固定観念ですから・・・。

そうだね。暗象は、自分を批判する者はすべてその区分に入るものだと思って、レッテルを貼って対応している。
それは、暗象が自分の行いが正しいと考えているから。だから「何様?」とか「自己中」と言っている。
たぶん、暗象のまわりの人間も、暗象にレッテルを貼って、暗象の声が聞こえないようになっているんだよ。
そうじゃなきゃ、身近に変な先生が多すぎる。

>いちろうさんのように子どもを大人レベルに引き上げてしまうのはかわいそうでしょう。

正しくは、子どもも大人も同じなんだよ。
そう言うと、大人を子どもと…とか言うし、逆に今回のように、子どもを大人レベルに…となる。
子どもと大人の線引きはどこにある?
そういう区分自体を否定する立場にいる。
人としてどう接するかというのは、
性別や年齢、能力にとらわれるものではない。
それがあった上で、役割分担がある。

>周囲の環境で、人の能力がどれくらいだせるか、
>そこが人事管理の楽しみなんだけどね。

いちろうさんにも「管理」という語彙を肯定的に使われることがあることを知ってほっとしています。
「管理」=「悪」は一部の人にとっては完全な固定観念ですから・・・。

>できあがったものが来ている筈だ、
>私の想定レベルに達していないのは能力不足だ…
>そういう発想の暗象が、
>人を育てる仕事をしている所に疑問がある。

「想定レベルに達する」こと、そのために能力を向上させるのが教師ですからね。
子どもの能力不足は教育の前提です。
ただ、公務員の能力不足は困るのです。
いちろうさんのように子どもを大人レベルに引き上げてしまうのはかわいそうでしょう。

゚゚(´O`)°゚
>「自分」のレベルを客観的に理解することはそれほど容易にはできません。
>それもできない「大人」が一般的であると想定するなら

自分を客観視できないのが普通だろう。
実際、ネット上でも、できている人を見たことがない。
ただ、客観的というのも怪しいもので、
周囲の環境で、人の能力がどれくらいだせるか、
そこが人事管理の楽しみなんだけどね。

できあがったものが来ている筈だ、
私の想定レベルに達していないのは能力不足だ…
そういう発想の暗象が、
人を育てる仕事をしている所に疑問がある。

>子どもをもう少し大人レベルに扱うべき

いちろうさんもおわかりの通り、子どもには「大人」のレベルを直観的に判断する能力があります。
ただ、「自分」のレベルを客観的に理解することはそれほど容易にはできません。
それもできない「大人」が一般的であると想定するなら、いちろうさんの主張どおりでかまわないと思います。

(*^ー゚)bグッジョブ!!
>教師を子どもレベルに設定してお話をされています

逆だよ。
子どもをもう少し大人レベルに扱うべきと言っている。
だから暗象の主張を読み、管理しすぎと言っている。
全くわかっていないというのは、困ったものだ。

子どもたちは、わかっているよね。 (^O^)

いちろうさんはいつでも教師を子どもレベルに設定してお話をされていますが、一応、私が記事の対象にしているのは「公務員」です。

( ̄ー ̄)ニヤリ
>何でも人にたよろうとする甘い考えが、自分の首を絞め続けていることを早く認識しなければなりません。

いいねぇ〜、この考え方。
子どもにも、そう求めているのか?
保育園児には違う態度だろうから、
何歳ぐらいの人から、こういう態度で接するんだ?

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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    「楽毅」第四巻より
  • 人というものは、自分のやっていることをたれもみていないと思い込んでいるが、じつはたれかがみており、やがて賛同してくれる人があらわれる。
    「春秋の名君」より
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  • 奥の深いことと、表現がむずかしいこととは、むしろ逆の関係にある。むずかしい表現のほうが、ぞんがい簡単なことをいっている場合が多く、やさしい表現のほうが、奥の深いことをいえる。
    「歴史の活力」より
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    「侠骨記」より
  • 人はおのれのままで在りたい。それは願望とはいえぬほどそこはかとないものでありながら、じつは最大の欲望である。人の世は、自分が自分であることをゆるさない。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
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    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より