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注文をたくさんいただける教育ブログ

 この場所は、いつの間にか注文や要望の多いコメントをいただける教育ブログになっています。
 いつもお読みいただいている方にはおなじみの「いちろう」さんからのご要望です。
 「いちろう」さんにはこちらからの質問にもお答えいただいているので、できる限り対応していきたいと考えています。あちこちクリックするのもご面倒でしょうから、回答もいくつかまとめて記事にいたします。

本日の要望その1

わかりきった所見や、意味不明の所見でない、お手本となるものを、このブログの幅で2〜3行で、書いてみてくれないか。 3人分でいいよ。 実は、単に批判に堪えれる所見を書けないと思っているのだが…。

 評価というのは、評価者と被評価者の間の人間関係、被評価者のさまざまな行動、そのときの評価者のはたらきかけなど、様々な要素がもとになって行われるものですから、評価言を受け止める子ども、その子どもから所見を材料に会話や励ましの意思をもっている保護者、その子どもをよく理解している教師の三者がいないと、成り立たないものです。
 このことから、ここで所見を披露すること自体が批判の対象になるべきものだということで、残念ながらご要望にお応えすることはできません。

本日の要望その2

最近、先生は負担が多く精神疾患が増えているという記事をよく見る。先日は、1年目の先生が何百人も辞めて、その多くが心の病という記事を見た。 暗象は、その状況を分析し解決策をとるにはどんな設問がいいと考えるんだ? 模範的な設問を示してくれ。 もちろん、15,000人のデータとして集計できるものにしてね。

 大がかりなアンケート調査をする場合には、必ず予備調査のようなものを実施し、質問項目を精選する、という作業を要するものです。
 ただ、ご紹介いただいた事象については、複合的な要因が容易に想像でき、むしろ教育委員会の人事部がもっている聞き取り情報の分析から入った方が実態がつかみやすくなるのでしょう。

 AだからBになった、という単純な話ではありませんから。

 私が批判していたのは、AだからBになった、ということを主張したい人たちが、そういう結論になるように質問項目を設定していることが課題である、ということです。
 やり方によっては、ご紹介のケースでも同じようなことができます。

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教育」カテゴリの記事

コメント

(゚Д゚)ハァ?  つまんねぇ〜
>ここで所見を披露すること自体が批判の対象になるべきものだということで、残念ながらご要望にお応えすることはできません。

批判されて成長するんじゃないんだね。
それに、三者が揃わないとできないという理屈がわからない。そんな状況はレアじゃないの?

わかりきった所見や、意味不明の所見で、
不信感が生まれるんじゃないの?
という問いに「指導力不足の教師の特徴をよくご理解いただけた」と答えたのは暗象です。

わかりきったものではなく、意味不明でもない所見の例は、評価される子どもと、その親と先生しかわからないというのは、理屈として無理がない?
具体例、サンプルを要求することは、変なことなのか?


>私が批判していたのは、AだからBになった、ということを主張したい人たちが、そういう結論になるように質問項目を設定していることが課題である、ということです。

馬鹿か?
アンケートは結論に導くためにするもんだよ。
だからアンケートの主体が問題になるの。
設問より、「誰がしたか」のほうが重要。
イロハのイの問題。

じゃぁ、「子どもがつくって生徒にやらせようとする調査ならすぐ練り直しを要求するタイプのもの」というからには、「全国学力・学習状況調査がどのように受け止められているか」の設問ならつくれるんだよね。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
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    「歴史の活力」より
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    「晏子」(第四巻)より
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    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より