教科書「至上主義」の終わり
文科省官僚の殺害予告をして逮捕された大学生は、「教科書の内容と違う現実を知ってだまされたと思った」などと供述しているようです。
大学生の話している「教科書」が、義務教育や高校の教科書なのか、大学のテキストなのかはわかりませんが、文科省を恨んだことからすると、検定済教科書のことなのでしょう。
とすると、自分の教育に関わった親や教師を恨んだわけではないということになりますね。
この大学生の言うように、教科書の内容というのは、社会の現実とどのように食い違っていたのでしょうか。
また、教科書以外で、社会の現実を知る機会というのはなかったのでしょうか。
教師は、教科書をどのように使って教えていたのでしょうか。
実は、教科書使用のあり方については、特に社会科の場合、教師によって様々なタイプがあります。
ある研修の先生は、「教科書を執筆した先生というのは、授業であまり教科書を使われないんですね」と驚かれていました。
一方で、教科書の内容を本当にもれのないように丁寧に説明する(理解させることではなく)のが仕事、という真面目な教師もいます。
義務教育の場合、教科書は「主たる教材」であることと、その内容が(学習指導要領準拠であるので)入試問題作成上の縛りになることから、普通は常に教科書を使わない授業というのは存在しません。
ただ、社会科の場合は、そこに書かれているのはある問いや課題を想定した上での答えや解説にあたるものであり、「考えさせる」授業、問題解決的な学習を展開するときにはかえって邪魔になる場合があるのです。
結論をふり返るために、授業のまとめの段階で10分程度しっかり読む、というような形が一つの方法としてはあるもので、そこでは「これはいくつかあるうちの答えの一つ、今のところ、わかっていることの一部でしょうね」というまとめでもかまわないのです。
新学習指導要領のもとでの教科書は、「はどめ規定」がなくなったことから、どの会社も内容が増え、厚くなる、と言われています。
それはとりもなおさず「そこに書かれていることがすべてではない」ことのあらわれでもあります。
教科書「至上主義」的発想がどのようにして生まれてしまったのか、分析してくれる人がいると助かります。
| 固定リンク
「教育」カテゴリの記事
- 「東京水上尋常小学校」をご存知でしたか?(2009.07.14)
- 超短期的な目標にふり回されない教師 ふり返り366日【08/5/25-1】/不衛生な日本人(2009.07.14)
- 同僚に遠慮しないで教育ができる環境 ふり返り366日【08/5/24-2】/森永ミュージアム(2009.07.14)
- 「威厳」がほしい理由は? ふり返り366日【08/5/24-1】/チョコレートの景品(2009.07.13)
- 父親(あるいは教師)をバカにしている子どもをどうするか? ふり返り366日【08/5/23】(2009.07.12)







コメント
「教科書」が学校における学習の象徴になるか、「教師の授業」「自分の学び」がそうなるか。
大学を卒業してももっていた「教科書」至上主義的な発想に違和感があるのですね。
投稿: kurazoh | 2008/11/30 11:14
(・_・)エッ....?
>学校で与えられた枠の外にいたのに、なぜ「教科書」という言葉が出てきたのかが疑問です。
今は、教科書だけじゃダメなのか?
私の同級生は、教科書だけで東大や京大に入ったよ。
暗象の大好きな学習指導要領の範囲を越えた入学試験問題を出してもいいのか?
公立高校の入試ではダメだと聞いたことがある。
投稿: いちろう | 2008/11/30 10:22
以前インドに旅行したことがあるのですが、そこではさまざまな宗教があり、共存と対立が存在していることを感じました。確かに学生時代に教科書で学んだほどシンプルではありませんでしたが、自分の知識としてのベースとなり、役に立っているのも事実です。
教科書が「すべて」ではありません。いえ、教科書に限らず「これだけ学べば大丈夫」などというものなど存在しないとすら思います。しかし、学生の頃に学習した内容は今の自分にとって必要なことであり、その下地を「生きた」ものとするのは他でもない自分自身なのだと思いました。
投稿: Psyche | 2008/11/30 03:59
>学校の先生って、目先の仕事しか見ていない
よくご存じですね。
これはおっしゃる通りです。
でも、該当する東大卒の若者が言っていたことは、少し次元の違う話でしょう。
なぜなら、教科書レベルでは追いつかない世界にいた若者ですからね。
学校で与えられた枠の外にいたのに、なぜ「教科書」という言葉が出てきたのかが疑問です。
投稿: kurazoh | 2008/11/30 00:01
`;:゙;`;・(゚ε゚ )ブッ!!
>教科書「至上主義」的発想がどのようにして生まれてしまったのか、分析してくれる人がいると助かります。
テストの点数至上主義をとり、テストは教科書の内容から出すというのにすれば、そうなるのはあたり前。歴史的にも、言論統制の手法は2つあり、一つは「禁止」で、もう一つが「価値を高める」こと。
禁止すれば反発などが起きるが、価値を与え、それが立身出世などの個人の利益に結びつくと、争うようにそっちの方向へ行く。身分が固定化されていない社会では、とっても有効なんだよ。
学校のテストや通知表の価値を下げないと、どんどん教科書至上主義になって、与えられた枠から出れない人が増えると考えるのが普通。
学校の先生って、目先の仕事しか見ていないのか?
投稿: いちろう | 2008/11/29 23:50