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教師を元気にさせてくれるのは・・・。

 いきいきと学校で活躍している教師に共通した点は何だと思われますか。
 逆に、いつも暗く、元気のない教師が抱えている問題(その原因)は何だと思われますか。

 「教育創造学」のために、前者をもっとPRしろ!という注文はまだいただいておりませんが、人がポジティブに活動できる背景、高いモチベーションを維持できる背景にあるものは、そんなに複雑なものではなく、「仕事そのものへの充実感」「達成感」「自分自身や他者の成長への実感」「他者から認めてもらえること・頼られていること」くらいにまとめられるでしょう。

 これを裏返せば、「やる気が感じられない人」の共通要素も見えてきます。

 ~教えることに充実感をもてない~
 ~成果が得られず、達成感がない~
 ~成長しているという実感がない~
 ~人から認めてもらっている・頼られているという実感がない~

 ただ、教師が「やる気をもてない」でいる背景として、他にさまざまなことがらが教育関係者から語られています。

 たとえば、教育改革
 たとえば、人事考課
 たとえば、教師がさまざまな理由で「批判」されていること
 たとえば、「忙しすぎること」

 学校で授業改善事業の中核になっている人の「やる気」がなく、「やらされ感」が高かったら、確かに他の教師のモチベーションを上げるのは難しいでしょう。

 しかし、学校で
 ~教えることに充実感がもてるような、楽しい授業づくり~は無理なのでしょうか。
 ~小さな成果でも少しずつ積み重ね、最後に大きな目標を達成する~ことは夢の話でしょうか。
 ~成長しているという実感をもてる「実践記録」づくり~はできないでしょうか。
 ~人から認めてもらっているという実感がもてる機会(研究授業など)を増やす~ことはできませんか。

 能力開発型の人事考課制度は、教師のためになりませんか。
 この制度では、自分で自分に合った目標が設定できるのです。
 
 公務員は「批判」されるのも仕事のうち、という倫理観はもてないのでしょうか。

 「批判」されたことに「実践」で答えをかえす、という気概を教師はもてないのでしょうか。

 「忙しい」教師は、みんな暗いですか?

 「褒めてもらいたい症候群」「同情してほしい症候群」が、子どもから教師にまで伝染してきているようですが、教師がいきいき活動できない原因人のせいにするのはひとまず置いておき、まずは子どもと一対一で向き合うのはどうでしょう。

 子どもが学習内容の質問に来たとき、教師がどのように対応しているかで、だいたいどういうタイプの教師かはわかります。

 まず、うれしくなるか、どうか。
 行政から調査の依頼を受けたときは、きっと「この忙しいのに!面倒くさい!」と思う教師も、質問しに子どもが来てくれたら、「よく来てくれた!」と思いませんか。
 教師には、「忙しいからこそやりがいがある」という部分もあるでしょう。

 次に、質問を仕返すか、どうか。
 「聞かれたことに答える」だけで、満足してしまうのですか。
 授業の難易度、理解度をはかる絶好のチャンスでしょう。

 三番目に、「また来たい」と生徒に思わせられるかどうか。

 教師を元気にさせてくれるのは、他のだれでもない、・・・・生徒です。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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    「歴史の活力」より
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    「奇貨居くべし 春風篇」より
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    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より