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教育ブログの読み方・考え方

[教育現場] ブログ村キーワード
 以前にも中西輝政著『本質を見抜く「考え方」』(サンマーク出版)を紹介したことがありますが、いちろうさんやしょうさんから「このブログを読むとほとんどの(または多くの)学校や教師が不信の目で見られるようになる(可能性がある)」という警告をいただいておりますので、著作の「考え方」を例に出しながら、少し考えてみたいと思います。
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 まずは、

 評価ではなく「事実」だけを見る(考え方33)

 イギリスで民主主義が生まれてきた背景について、著者は次のように述べています。

 庶民は、政治や学問の世界を握っている人間を、ほとんど信用していません。「連中は高等教育を受けていて嘘の技術に長けているから、下手をすると自分たちの富を持っていってしまうかもしれない」という猜疑心を強烈に抱いています。
 「奴らはいろいろと理屈をつけて高い税金をかけようとしている。あいつらの論理に騙されてはならないぞ」と、目を皿にして政治家や知識人を見張っています。それが、民主主義をつくり出した理由です。

 政治家については日本でも同じような目を持っているかもしれませんが、マスコミや知識人等には弱いのではないでしょうか。
 情報を「信用するな」とまでは言いませんが、鵜呑みにするのはいけません
 学校のことが不安なときは、実際に足を運び、わかりやすいポイントについて見る、聞く、話す・・・
 百聞は一見に如かず、です。

 「答え」より「考え方」の重要性を知る(考え方13)

 子どもは早く結論や解答を知りたがる傾向がありますが、テレビのクイズ番組などもこういう態度を助長しているように思います。クイズ番組では懸賞などを除いて、答えがわからないまま番組終了というのはあり得ません。

 マスコミからの情報はわかりやすい「答え」として提供されるケースが多いですが、情報リテラシーを身に付けるためには、記者がどのような過程を経てその記事を作成したか、どのような「考え方」をもっていたかを知ることの方がためになると思います。

 学校の実態=「答え」よりも大切なのは、実態を見る「見方」とそれについて考えるための「考え方」です。

 効率を「量」でなく「質」でとらえる(考え方28)

 日本の生きる道が、「量的効率」から「質的効率」へと変わっているのが現代の特徴です。
 しかし、量的なイメージの方がつかみやすいので、たとえば学力調査なら平均点得点順位、そういったものに目がいってしまいますが、本当に大事なのは「質」の問題です。

 テストの問題では、「量」で決まってしまうもの・・・計算量、練習量で得点が上がる計算や漢字問題・・・と、思考や分析の「質」が問われるものに大きく分けられます。
 今までは(今でも主流はそっちかもしれませんが)量中心の対策で何とかなった世界が、社会の変化に対応するために、自己変革を遂げようとしています

 現在実施されている学力調査では、ようやく学力の「質」の領域にふみこみ始めました。
 PISAの調査も大きなきっかけになってはいますが、現行の学習指導要領が出た10年前から、「質」の向上が大きなテーマになっていました。さらにさかのぼれば「新しい学力観」の出た20年前です。
 本当の意味での「思考・判断」を問うてきたのか。
 それへの問いかけが始まったのであり、指導要録の見直しも進めていかなければなりません。

 ふと浮かんだ「疑問」を封じ込めない(考え方39)

 情報というのは歪められていることが多い、とリスク感覚をもっていれば、「自分の実感、直観を大事にする」姿勢が持てます(もちろん「思い込み」はよくないですが)。

 冷静な情報分析よりも、ふとした直観正直な感覚がものをいう場合もたくさんあります。

 そういう感覚は、やはり現場でしか得ることはできません。

 相互理解を深めるためにも、学校側は、もっと情報を発信すべきです。
 猜疑心と戦う労力を無駄と考えずに、自ら門を開いていくことが大切だと考えています。

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教育」カテゴリの記事

コメント

ちぇこさん,コメントありがとうございます。
メールアドレス必須のため度胸のない人(・・・?)は書き込みができなくなっていますから,訪問していただける方はかなり限られています。
直接メールをしたりすることはないのでご安心ください。

初めまして!
『本質を見抜く「考え方」』の検索
からやってきましたが自分自身、教育
に非常に興味を持っているので、これから
も拝見させていただこうと思います(^-^)

>マスコミや知識人等には弱い
これは「まさに!」だと思います。
『安心のファシズム』に少し書かれていますが
教育に限らず思考停止に陥ってはダメですね。

お約束の記事、遅くなりましたが作成いたしましたのでトラックバックさせていただきました。

ヽ(´▽`)/
>情報を「信用するな」とまでは言いませんが、鵜呑みにするのはいけません。

珍しいことですね!!
この考えは、一致しますね。

でも、暗象は随分いろんなことを検証せずに鵜呑みにしていると思いますが?
コメントをくれなかった、中山議員の話なんか、本人の弁やマスコミの解説より、話の筋として納得させるものがない?

削除されるということなので、横レスしてはいけないのかもしれませんが。

わんわんさんへ

私自身もわんわんさんがお感じになったようにkurazohさんの考え方は至極まっとうであり、多角的視野と冷静な視線、高い視点で物事を捉えられているといつも感心しております。

一般的には至極当然のことがこの業界では許されざる雰囲気を醸すことはよくあること。
いわばkurazohさんのされていることは、現場の気づきにくいところ、気づいていても逃げに走ってしまいがちなところ、認識が甘いところなどに光をあてられる貴重な作業と思います。

これについては私も現在出先のため、後ほど書かせていただきたいと思っています。

わんわんさん、メッセージありがとうございます。
私も勉強中ですし、このやりとりを事例に研究しているグループがあるそうですので、時間に余裕のある限り、コメントをいただく姿勢を続けたいと思います。
本日、帰宅後、削除させていただきます。
誠にありがとうございました。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
  • 目くばりをするということは、実際にそこに目を遏(とど)めなければならぬ。目には呪力がある。防禦の念力をこめてみた壁は破られにくく、武器もまた損壊しにくい。人にはふしぎな力がある。古代の人はそれをよく知っていた。が、現代人はそれを忘れている。
    「楽毅」第1巻より
  • 知恵というものは、おのれの意のままにならぬ現状をはげしく認識して生ずるものなのである。
    「楽毅」第1巻より
  • 会う人がちがえば、ちがう自己があらわれるということであろうか。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 静寂に染まりきれば、ふたたび起つことはない。生きるということは、起つ、ということだ。自然の静謐に異をとなえることだ。さわがしさを放つことだ。自分のさわがしさを嫌悪するようになれば、人は死ぬ。
    「楽毅」第四巻より
  • 人というものは、自分のやっていることをたれもみていないと思い込んでいるが、じつはたれかがみており、やがて賛同してくれる人があらわれる。
    「春秋の名君」より
  • 寵を受けても驕らず、驕っても高い位を望まず、低い地位にいながら怨まず、怨んでもおのれを抑えることのできる人は少ない
    「沈黙の王」より
  • 小さな信義が、きちんとはたされてこそ、それがつもりつもって、大きな信義を成り立たせる。それゆえに、明君は、小さな信義をおろそかにせず、つねに信義をつむように、心がけるものである
    「歴史の活力」より
  • 奥の深いことと、表現がむずかしいこととは、むしろ逆の関係にある。むずかしい表現のほうが、ぞんがい簡単なことをいっている場合が多く、やさしい表現のほうが、奥の深いことをいえる。
    「歴史の活力」より
  • 黄河の流れは悠久とやむことはない。河床もあがりつづけるのである。いくら堤防の高さをましてもらちのないことであった。
    「侠骨記」より
  • 人はおのれのままで在りたい。それは願望とはいえぬほどそこはかとないものでありながら、じつは最大の欲望である。人の世は、自分が自分であることをゆるさない。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 外をもって仕えている者は信用するに足りぬ。つまり男でも女でも内なる容姿というものがあり、その容姿のすぐれている者こそ、依恃(いじ)にあたいする。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より