「正面から目線」と「上から目線」
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「上から目線」とは、どのようなものなのでしょうか。
人を馬鹿にしている、見下している、というわかりやすい説明から、相手が求めている答えではなく、客観的な視点で正論を言ってしまう、というものまであるようです。
相手に「上から目線」と思われないようにするための方法は?
自信を持っていない相手には「語らない」という方法もある・・・などの方法を紹介している方もいます。
ここではそれらの内容についてはふれませんが、コンテンツ重視のブログの世界では、私は現在の立場、経験、知識等から導き出せる答えや問題提起、現状分析、展望を述べることしかできません。
自分のスタンスを敢えて表現すれば、「正面から目線」です。
理想を言えば、相手の中身も後ろ側も透視できる「正面から目線」を持ちたいものですが、それが難しいからと言って、正面をかわして斜めから見ていくような態度やセンスは受けつけがたい神経をもっているようです。
しかし、教育の世界に限った話ではないと思います(行政の世界では多いかもしれません)が、学校現場では今そこにある問題から目を反らす(見なかったことにする)ような傾向が非常に強い。
学校評価を教師が嫌ったり面倒くさがったりするのは、問題を問題として把握していないことを証明するデータとなってしまったり、問題の解決を迫られる根拠となったりすることも理由になっているでしょう。
全国的な学力調査についても同様でしょう。
知・徳・体のいずれをとっても、「満足できない」状況にあることを示すデータは嫌になるほどあります。
そして、問題の解決には非常に大きな労力を要することがわかっているため、「仕事を増やす」ことにつながりそうな提案は校内からはなかなかなされない。
生徒のために「生き残る」必要がなく、希望すれば異動ができる公立学校だと、なおさらそういう傾向が強くなります。
もちろん「増やした仕事」が問題の解決につながらないと固く信じている人による強い反対も想定できます。
教師には、現実にやっている仕事で十分な成果が出せていないなら、新しいことにチャレンジしよう、という意欲をもつよりも、「成果は十分である」とハードルを下げて満足してしまうか、「これ以上は無理」とあきらめてしまう場合が多い。
もし教師がギブアップしてしまうのならば、ここで存在価値が問われてくるのが「生徒力」です。
「生徒力」が問われない学校では、生徒による学校内での活動のほとんどは「こなすこと」が重視され、プロ野球の世界で言えば「消化試合」での動きに近いものになります。
「生徒力」は、優勝を争うペナントレースの緊張した一試合一試合のように学校生活がならないと、育成できません。
本当の意味での「消化」とは、物質を体内で化学的に処理して利用可能な栄養素にすることで、生徒の活動で言えばさまざまな能力が伸びることをさしています。
教師にとってはこの化学変化が起こる条件を整えることが最大の仕事であり、責務であると信じています。
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