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東京都による全国学力調査の結果分析

[学力テスト] ブログ村キーワード
 「文部科学省が、児童・生徒一人一人の学習改善や学習意欲の向上につなげることを目的として実施した、『全国学力・学習状況調査』」の東京都の調査結果を東京都教育委員会がまとめて発表しています。
 誤答分析なども行われているので、現場の教師の参考にもなるでしょう。
 
 平成20年度 全国学力・学習状況調査の結果について

 あくまでも平均値としてのデータですが、たとえば小学生の家庭学習時間(学校の授業時間以外に、月~金曜日1日あたりどのくらい勉強をしているか)と国語や算数の正答率の関係を見ると、明らかな相関が見られます。
 なお、B問題についても同様の結果です。

  国語のA問題(小6)

 3時間以上勉強している
  全体の23%で、正答率は81%

 1時間以上、2時間未満
  全体の25%で、正答率は67%

 30分未満(全くしないは除く)
  全体の12%で、正答率は59%

  算数のA問題(小6) 

 3時間以上勉強している
  正答率は86%

 1時間以上、2時間未満
  正答率は73%

 30分未満(全くしないは除く)
  正答率は65%

 *A問題とは、「身に付けておかなければ後の学年等の学習内容に影響を及ぼす内容」「実生活において不可欠であり、常に活用できるようになっていることが望ましい知識・技能など」を指す。

 中学校の場合には、国語については家庭学習時間と正答率との相関はそれほどきつくないのですが、数学では家庭学習時間が1時間未満の生徒(全体の約3分の1)の正答率がA問題で60%以下と、明確な数字が出ています。

 各学校ではこの数字と校内の定期考査の得点との相関をとるなどして、より具体的な実態の把握に生かすことができそうです。
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教育」カテゴリの記事

コメント

関連する記事をUPしましたのでご覧下さい。

(-_-#)
>以下の目的で子どもが受けたのが今回の「全国学力調査」です。

本気で書いているのか?
大本営発表には異論をはさめないのか?

>…教育及び教育施策の成果と課題を検証し、その改善を図る。

教育施策の成果と課題をどのように検証するのか?
各自治体や学校ごとの施策が比較できるのか?
それも、自治体や学校へ丸投げなら、何の意味もない。

>…教育に関する継続的な検証改善サイクルを確立する。

昨年、今年、来年…と、同じ子どもが学力テストを受けるのか? Aさんが受けた試験の結果を分析して、対応を練ってBさんを教えて、Cさんをテストしても、何の意味もないと思うが?

>…児童生徒への教育指導や学習状況の改善等に役立てる。

個別具体になればなるほど、全国一斉の意味は薄れるんじゃないの? 

>「全員が受ける」ことでその精度が上がり、教育の機会均等に背くことなく、全員がそのデータを入手することができます。

精度の差としか受けとれないが? 精度を高めるために結果を受けとるのに半年の時間をかけるというのは、どっちが無駄なのか考えてみては?

>単なる市場調査や、中山氏の目的果たすための調査なら、会議を通るはずがありませんね。

いや。ボスは石川県の議員だから知っているけど、文教族というのは、日教組を潰すためにいるんだから、中山の目的で充分に国会は通るし、その後に文科省の役人が屁理屈つけても、そんなもんだと思うよ。

「日教組の強いところは学力が低いということを証明すること」を目的として中山氏が行いたかった「学力テスト」とは別に、以下の目的で子どもが受けたのが今回の「全国学力調査」です。

○ 国が全国的な義務教育の機会均等とその水準の維持向上の観点から各地域における児童生徒の学力・学習状況をきめ細かく把握・分析することにより、教育及び教育施策の成果と課題を検証し、その改善を図る。
○ 各教育委員会、学校等が全国的な状況との関係において自らの教育及び教育施策の成果と課題を把握し、その改善を図るとともに、そのような取組を通じて、教育に関する継続的な検証改善サイクルを確立する。
○ 各学校が各児童生徒の学力や学習状況を把握し、児童生徒への教育指導や学習状況の改善等に役立てる。

>相対的なデータは、全員が受けないと取れないわけじゃない

絶対的なデータは、一人一人が受けた結果で明らかになりますが、相対的なデータというのは、全体がどのような傾向にあり、自分はその中でどのような位置を占めているかを知るためのものであり、「全員が受ける」ことでその精度が上がり、教育の機会均等に背くことなく、全員がそのデータを入手することができます。

>市場調査のためにそんな無駄をしたら会社は潰れるよ。まぁ、それ以前にそんなことが会議を通るわけがない。

単なる市場調査や、中山氏の目的果たすための調査なら、会議を通るはずがありませんね。

日本語が通じますか?

>子どもは「俺の担任は日教組だが、俺たちの成績はみんな本当は悪いのかな?」なんて考えてテストを受けたと思われますか?

中山が文科省の大臣として、日教組の強いところは学力が低いということを証明することを目的として、全国学力テストを行ったという意味。
子どもは関係ないよ。
で、上の文は何を言いたいんだ?

まじめに問いたいが、本当に先生なのか?
先生の学力低下も話題になったことがあるが、
ここまでひどいとギャグとしか思えない。

以前にも書いたことがありますが、
子どもたちのことを理解できていますか?
全くもって、暗象のレベルの低さに驚かされる。


>相対的なデータとつき合わせることで、見えてくる特色というのがあるわけですね。

何かの一つ覚えのように暗象は繰り返すけど、相対的なデータは、全員が受けないと取れないわけじゃないだろう。民間じゃ考えられない無駄遣いだ。市場調査のためにそんな無駄をしたら会社は潰れるよ。まぁ、それ以前にそんなことが会議を通るわけがない。
お気楽公務員のレベルは、そんな程度なのか?

相対的なデータとつき合わせることで、見えてくる特色というのがあるわけですね。

>すべての子どもたち全員を同じ基準ではかろうとする

このことで、目標に準拠した評価というのが成り立つわけです。

>なんで「別物」なんだ?
子どもは「俺の担任は日教組だが、俺たちの成績はみんな本当は悪いのかな?」なんて考えてテストを受けたと思われますか?
明らかに「別物」なんですね。

( ´,_ゝ`)ハイハイ

暗象は、間違っているんじゃないのか?

>その情報の確からしさを全国的な調査で調べることもできるのですね。

教育の成果を相対的なものに求めるから、テストに頼るんだよ。しかも、すべての子どもたち全員を同じ基準ではかろうとする。それは、正しい教育なのか?
結局のところ、暗象の頭の中は、受験用の塾の講師と同じ程度なんだね。公立の中学校の先生と思っていたのは、私の勝手な思い込みだっけ?

そうそう、中山のことにはコメントないの?

>結局のところ、個々の先生と、個々の生徒の関係に行きつくんだから、日々のテストで得られる情報の方が有用なんじゃないの?

その情報の確からしさを全国的な調査で調べることもできるのですね。
結果の分析をしっかりすれば、個々の教師が学習指導要領の趣旨をきちんと踏まえた学習指導を実践しているかどうかも問われてくるでしょう。

>なんで「別物」なんだ?
子どもは「俺の担任は日教組だが、俺たちの成績はみんな本当は悪いのかな?」なんて考えてテストを受けたと思われますか?

(・O・; …

ただ頭が悪いだけですか?

>繰り返しになりますが、中山氏の政治的意図を含んだ今回の発言と、実際に行われた調査の具体的な目標は別物です

なんで「別物」なんだ?
中山の一連の行動が、政治的意図をもって行ったことは、明白な事実だし、その後のゴタゴタで、中山の人間性が、暗象でも理解できたと思います。
でも、中山が日教組を敵ととらえ行動してきたことは、周知の事実であり、その言動を中山はいっさい否定していません。
そのことからも、全国学力テスト導入の目的にウソはないと思います。実際、結果はどうあれ、そういう目的しか見いだせないのだが? 暗象の屁理屈を何度読んでも、全国一斉にみんながする必要はない。せいぜい10%程度の抽出調査で得られる情報だ。中山の目的の方が説得力がある。

>目標と指導、評価の一体化や、評価方法・評価問題の見直し等、改善すべきでかつ改善可能な部分を具体的に洗い出す作業を進めたいところです。

それって、結局のところ、個々の先生と、個々の生徒の関係に行きつくんだから、日々のテストで得られる情報の方が有用なんじゃないの?

>中山議員の導入の目的通りにことが進んでいるから、それでいいんだね

繰り返しになりますが、中山氏の政治的意図を含んだ今回の発言と、実際に行われた調査の具体的な目標は別物ですし、日教組の教員が各学校の学力向上策づくりにまで反対しているわけではないので、今度は「活用」のあり方に目を向けていかなければなりません。

>具体的にどうやってこんなレベルの情報を有用な情報にするのか

私は管理職でもありませんし、国語、数学の教員でもありませんから、直接タッチしているわけではないのですが、B問題に対応できる=知識・技能を活用できる学力の育成は全教科にかかわってくる課題であり、目標と指導、評価の一体化や、評価方法・評価問題の見直し等、改善すべきでかつ改善可能な部分を具体的に洗い出す作業を進めたいところです。
学校の方針によってはA問題の達成度向上を掲げるところがあるかもしれませんし、結果やニーズに応じた対応が考えられるでしょう。
全校で実施できたことが、機会均等を保障することにつながりましたが、以前にも述べたように、「税金を無駄にしよう」と思ったら、何もせずに放置しておくことが可能なのが学校現場というところです。
「無駄だった」という事実を自分の力で確定させてしまうことができるのがこわいところです。

ヒィー(((゚Д゚)))ガタガタ

>各学校ではこの数字と校内の定期考査の得点との相関をとるなどして、より具体的な実態の把握に生かすことができそうです。

ますます変だ。
こんなあたり前のことを知りたいだけなのか?
で、結局は「具体的な実態の把握に生かす」なんて、
全国一斉にする必要がどこにあるんだ?

こりゃ、反対派の「競争・序列」のためという方が説得力があるな。あっ、その意味では、中山議員の導入の目的通りにことが進んでいるから、それでいいんだね。

で、暗象は、具体的にどうやってこんなレベルの情報を有用な情報にするのかを教えて欲しいのだが?

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第四巻より
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    「春秋の名君」より
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    「歴史の活力」より
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    「奇貨居くべし 春風篇」より
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    「奇貨居くべし 春風篇」より
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    「晏子」(第四巻)より
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    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より