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教師の指導上のつまずきを防ぐ指導基準(東京教師ミニマム)

[学力テスト] ブログ村キーワード

 東京都教育委員会が発表した「児童・生徒の学習のつまずきを防ぐ指導基準(東京ミニマム)」については、すでに学力調査等の前から十分に指導されてきたことだと自負している学校が多いと思いますが、小中の連携にもうまく生かされてくるとよいと思います。

 学校教育の中で、子どもの「つまずき」がいたるところで見られ、それが放置されているのが常態化していた学校は、具体的な問題が明示されることで、何を改善すべきかが見えてくるでしょう。

 よく、「わからないことを質問して」と言われても、「何がわからないのかすらわからない」状態にあった子どもと同じように、「批判されるべきことを探して」と言われても(たとえば学校評価で)、実際に批判されないとわからない学校が多いのですが、「変わるためのチャンス」はたくさん訪れてきます。

 情報に垣根のない現在では、東京都の財産は全国の財産となります。

 中には東京都の害悪が全国の害悪になると主張されている方もいらっしゃいますが、選択する権限はそれぞれの自治体に任されているわけです。

 ストック・公開されている「宝の山」の情報より、孫引き・またその引用などが相次いでいる新刊の教育書を読もうとする傾向にストップがかかるのはいつになるでしょうか。
 新しいものを求めつつ、その本質的なもの、基盤になっているものを習得することが教師には求められています。

 近いうちに、「教師の指導上のつまずきを防ぐ指導基準」なるものが登場するでしょうか。
 何でつまずいているのかを自覚してもらうことがまず必要となるでしょう。

 ただ「東京教師ミニマム」ではちょっと恥ずかしいでしょうか・・・・。

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教育」カテゴリの記事

コメント

ヤッテラレンワ…ヽ(○´3`)ノ フッ
>全員が「同列」「階層なし」でないと動かない、というわけではありませんよね。

どこから制度の話になったの?
「同列意識」の話だったのだが?
年功序列ベースだから、賃金は違うよ。
役付きにしないと手当が出ないから、
ちゃんと役はあるさ。
そういう問題じゃなく、意識の問題。

例えば、この話題と同時期に、
すずめさんのブログに
>子どもだけでなく教師も育てるいい機会になるわけです<
と書いている、そういう意識の問題。
暗象にとっては、同僚も子どもと同じなんだろうけど、そういう人間が混じっているとチームワークが崩れて効率が悪くなるということ。

>チームじゃなきゃ動かない世界。

全員が「同列」「階層なし」でないと動かない、というわけではありませんよね。

(*^ー゚)bグッジョブ!!
>どこの世界の組織のことをおっしゃっているのでしょう?

私の所。
チームじゃなきゃ動かない世界。

>20人程度の集団に無理して階層をつくると、
組織が動かなくなる。

どこの世界の組織のことをおっしゃっているのでしょう?

┐( ̄ヘ ̄)┌ フゥゥ~
>「同列意識」の助長ならOKなわけですね?

同列意識は、ベースとなることだよ。
50人を越えたらグループ分けして長がいるが、
20人程度の集団に無理して階層をつくると、
組織が動かなくなる。

「同列意識」の助長ならOKなわけですね?

(O.O;)
>批判されると見下されたように感じてしまう「暇」のある教師は批判の対象にすらなっていないかもしれません。

見下すことは認めても、

>序列にこだわるのはなぜですか?

こだわらずに、序列を助長している暗象の問題点を指摘しているだけ。
ちなみに、身近でない人や関係のない人を見下していても序列はつかないよ。

「上下」とか「同列」とか序列にこだわるのはなぜですか?
政治家を批判する子どもは政治家より「上」なのですか?

(・_・)
で、暗象は何が言いたいんだ?

批判されると見下されたように感じてしまう「暇」のある教師は批判の対象にすらなっていないかもしれません。

(^o^)
>「指導力のあるなし」は、「上下関係」というよりも、「横の補完関係」でしょう。

能力主義者が、指導力の無い者を横に見ているとは思わなかった。日々の記事では、ずいぶん見下した書きようなのだが? 
自分も同列なんだ。(^。^)

「指導力のあるなし」は、「上下関係」というよりも、「横の補完関係」でしょう。
その認識はほぼ完全なフラット組織の学校では当たり前のものです。

(# ̄З ̄)
>「なぐさめられるプロ」ほど情けない存在はないという価値観

この言葉でもそうだけど、誰が誰を慰めるんだ?
その意識の中にある上下関係が、
必要とされる集団の力を低下させていると、
この間、指摘し続けています。

「弱者に対するあたたかさ」を求めるいちろうさんのお気持ちはよくわかりますが、教師はどんなに指導力が不足していても、教育公務員である限りは子どもにとって「弱者」ではありません。
教育の場でどのようなことが子どもにとって「不幸」なのか、いちろうさんと私で食い違っている部分が多いことは明白ですが、私が見てきた「子どもにとっての不幸」の実態は、ほとんどが教師の「プロ意識」の欠如からきているものです。
「なぐさめられるプロ」ほど情けない存在はないという価値観を私はもっているので、ブログ上でのスタンスは今後も変わらないでしょう。

(゚ー゚) ? ?
>上司にあたる管理職の批判もしてきていますが・・・。

知っているよ。
暗象は自分の以外全てを否定しているから。

上司にあたる管理職の批判もしてきていますが・・・。

shock
>人間関係の基本的なありかたを説かなければ成立しないようなレベルにまで教師集団が陥っていたとしたら、たいへんなことです。

逃げ口上?
だったら、いつもの先生批判は何?
指導できない自分の責任なんじゃないの?

子どもは別として(こういう言い方ばかりですみません)、人間関係の基本的なありかたを説かなければ成立しないようなレベルにまで教師集団が陥っていたとしたら、たいへんなことです。
私は「仲間意識を高めよう」などと言っている集団は、仲間意識がないのだなあと判断します。
「時間を守ろう」などという目標を掲げている人たちは、時間を守らないのが常識だったのでしょう。
そんなことを考えていると、「安全です」ということわりをわざわざ大きくのせている食品は逆に危ないのでは?などと思ってしまいます。

ψ(`∇´)ψ
>「そんなしらじらしいこと、よく書けるな」と批判されそうなことはあまり書かない主義なので・・・。

人間関係の基本的なありかたを説くのを、
「しらじらしい」と表現する、
精神性の低さというか、
信頼関係の希薄さに驚かされるばかりです。

どこかでも書きましたが、「そんなしらじらしいこと、よく書けるな」と批判されそうなことはあまり書かない主義なので・・・。

そこまでブログで書く必要があるとは考えていないからでしょうね。

┐( ̄ヘ ̄)┌ フゥゥ~
>組織では○○ができるように努力させたり、××によって信用を失わないように指導したりするわけですよね

「努力させたり」「指導したりする」前にすることがあるって、なんでわからないの?
また、子どもじゃないから…というのかな?
ここにみられる暗象の冷たさに対してしつこくコメントをつけていますが、そういうことはわからない?

子どもの世界は別として、

>あいつは○○ができない、こいつは××した時は信用できないじゃ、みんながバラバラになる

ので、組織では○○ができるように努力させたり、××によって信用を失わないように指導したりするわけですよね。

それでも○○ができない教師や、××によって信用を失う教師はあとをたたないわけです。

そこで、学校では、○○は○○が得意な教師が行い、××が行われるような状況を設定しないのが、「みんな」の役割となります。
「何かを達成しなきゃいけない」ときこそ、このようにみんなが適切な役割分担を行う必要があるわけです。

いちろうさんは、学校では○○ができないはずの人に勝手に仕事をおしつけて、何のフォローもしていない状況を想定されていますか?

確かにそのような実態がある学校はあります。

しかし、そんな結果を許せない教師集団は、やるべきことをやるわけです。
フォロー態勢がとれる余裕のある学校は、あえて失敗させて、育てるということも可能です。
また、一方では、教師が「バラバラ」にやっていても、生徒が一つにまとまって自治的な活動ができていれば、何の問題もない、という考え方もあります。

すずめ先生をはじめ、大人なのに生徒指導と同じようなレベルの「仲良し」を求める方がいらっしゃる教師集団の本質は何なのでしょう?

( ´,_ゝ`)ハイハイ
暗象の能力主義の記事は何度も読んでいます。
能力主義でも成果主義でもそうなんだけど、
何かができるできないで人を差別している。
みんなで協力して何かを達成しなきゃいけない時に、あいつは○○ができない、こいつは××した時は信用できないじゃ、みんながバラバラになるという普通のことを言っているだけです。

教師が教育の場で発揮する「能力」は多岐にわたるので、その「能力」の高い・低いというのは簡単に評価するわけにはいかないんですよね。
「能力」の高い人が、そのエネルギーを誤った方向に際限なく使っている姿をたくさん見ていて、「これが子どものために使われたらもっと公立学校はよくなるのになあ・・・」と思ったことがたくさんありました。
けっこう「能力」の高い人ほど、「マニュアル」系のものを無視して独断で行動する性質もあるのですが、ときどきとんでもないポカをやらかしてしまうのです。
ですから「学校評価」では「次年度に絶対に犯してはならないミス」をきちんと整理し、引き継いでいることが必要です。
これも広い意味では学校に必要な失敗回避「マニュアル」です。
「能力」や「成果」については記事にまとめておきたいと思います。

( ´,_ゝ`)ハイハイ
>言葉を混同して使用されていますか?

暗象に合わせているよ。
民間じゃよくあるマニュアルの一つだよ。
相手が間違えた用語を使った時に、
それにあわせた用語で話を進めるのって。

ただ、能力主義と成果主義に大差はないよ。
均質な集団ならいざ知らず、
また、求めていることにも大差がない中で。

学校での能力主義は「適性に応じた人事」というやさしい表現で実施されています。
いちろうさんは「能力主義」という言葉と「成果主義」という言葉を混同して使用されていますか?

ヤッテラレンワ…ヽ(○´3`)ノ フッ
>能力主義でなくても公務員は生き残れますが、企業はたいへんですよね。

能力の無い人間が能力主義に走るほど、
集団の足を引っぱるんだけど、
本人は気づいていないんだよなぁ…。

企業全てが能力主義じゃないよ。
特に中規模程度で能力主義をやったら、
企業活動ができなくなるよ。

だから学校規模の集団に
暗象みたいな思考の人間がいると、
集団として機能しないだろうと、
容易に想像できる。

能力主義でなくても公務員は生き残れますが、企業はたいへんですよね。

(+_+)
>いちろうさんの想定する公立学校の教師はやはりその程度でしたか。

そういう区分をするから能力主義というの。
ここまで書けば差別主義者?
バカな会社にいて悪かったね。

>公立学校の教師に…略…社会が要請していることでは?

最初っからでき上がったいい者はいないんだって。暗象は先生と言っているくせに、人を育てるという意識が全然ない。それぞれの職に適した者になるように、職場で育てるものなんじゃないのか? 本当に先生なのか?

>子ども以上によいしょしないと辞めちゃうんだよ、今どきの大人は。

いちろうさんの想定する公立学校の教師はやはりその程度でしたか。
公立学校の教師に高い資質・能力が求められていること、及びそれらの継続的な向上は、私が自己中心的に要求しているものではなく、社会が要請していることでは?

( ^ω^)おっおっおっ
>人から指示されなくてもマニュアルくらい読むでしょう。子どもは別として。

だから自己中って言っているんだよ。
暗象基準ではそうなるんだろうけど、子ども以上によいしょしないと辞めちゃうんだよ、今どきの大人は。もっていき方の問題。
こういう発想に、暗象の自己中さや排他的な能力主義を感じている。

「同じ目的に向かって一緒に助け合いながら頑張ろう」と思っていれば、人から指示されなくてもマニュアルくらい読むでしょう。子どもは別として。
私が申し上げているのは、いちろうさんの言葉をもじって申し上げれば、「同じ目的に向かって、自分は努力しないが他の人に一生懸命助けてもらいながら楽していこう」というタイプの教師です。

┐(´-`)┌
>マニュアルも読めない人となると本当にお手上げです。

この意識がダメなんだって。
ダメな奴とレッテルを貼って、マニュアルぐらい読め…という態度で突き放す。もう何回も書いているけど、同じ目的に向かって一緒に助け合いながら頑張ろうという姿勢が全くない。
不都合なことが起きると、誰かに責任を転嫁して、その人を排除しようという姿勢しか見えない。
だから、最初に、暗象のクラスには不登校が多いんじゃないのか…と指摘しました。

いちろうさんがおっしゃるように、人間性に課題がある教師の場合は、いくらマニュアルがあっても無駄だろうと思われるかもしれませんが、そういう教師をクビにしないですんでいる最後の防波堤があるんですね。
マニュアルも読めない人となると本当にお手上げです。

(*゚▽゚)ノ
>マニュアルが更新されない会社は駄目でしょうね。

マニュアルに頼る人間を馬鹿にした文なのだが?
それに、だれが個別の人のマニュアルを更新し続けるんだ?
個々が自分で更新するなら尚更無理だよ。

マニュアルが更新されない会社は駄目でしょうね。

(=゜ω゜)ノぃょぅ
>何でつまずいているのかを自覚してもらうことがまず必要となるでしょう。

会社の営業もマニュアルの類いはたくさんあるけど、
最後は人間性にたどり着く。
マニュアルやハッタリなどで一時的に成果は残せても、2年3年と担当が変わらずにいると、違う結果が出てくることがよくある。
暗象が、同じ子どもを3年間続けて受け持つと、どうなるのかな?
1年目よりよい成果がみられるのか?
そうじゃないよな。

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    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
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    「楽毅」第四巻より
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    「楽毅」第三巻より
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    「楽毅」第二巻より
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    「歴史の活力」より
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    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より