ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 失敗と成長の分岐点 | トップページ | マナー違反に対する指導 »

「税金の無駄遣い」という主張を間違いないものにできる教師

 よく考えてみれば、公立学校の信頼を貶めることのないよう、熱心に書き込み続けていただいているいちろうさんのような「保護者」の方と、「信頼を損ねている?」公務員の教育ブログというのはおかしな図式ですね。
 「内部告発」や「内部からの批判」というのは日本の文化にはそぐわないのでしょうか。
 ただ、教育基本法に掲げられた「教育の目標」を念頭に生活している者にとっては、やはりやるべきことはやっておきたい気がします。

 *「幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い・・・」
 *「自主及び自律の精神を養う・・・」
 *「職業及び生活との関連を重視し・・・」
 *「正義と責任・・・・・公共の精神に基づき・・・・」
 *「自己の人格を磨き・・・・」
 *「生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習・・・」
 *「成果を適切に生かす・・・」

 行政にいたころは、たまたまかもしれませんが、学校関係者以外の方から受けた電話のうち、苦情の電話と質問の電話で99%間違い電話が1%激励や感謝の電話は皆無でした。

 苦情のうちの多くは、学校や教育についての情報不足、学校や教師とのコミュニケーション不足が大きな原因だったので、そのようなことの解決になるような記事を今までにいくつか紹介してきました。

 学力調査については、「平均点の扱い」ばかりがマスコミで取り上げられ、肝心のねらいの部分が保護者に伝わっていない状況がありますが、実は、学校現場の教師自身がそれを理解していないことは、いくつかの教育ブログの記事を読むだけでもわかります。

 国語や算数、数学の教師ではないからかもしれませんが、新聞にも掲載されている問題がどのような質のものなのか、それすら知らない(興味がない)人も多いようです。

 このように、全国的に展開している教育政策の一つの成果や本来の課題が、保護者にまで伝わらない原因はどこにあると考えられるでしょうか。

 これを現場の私は、やはり現場の教師という自分自身の立場に求めます。
 
 学校は、この調査の目的を、どのように子どもや保護者に伝えたのでしょうか。

 また、この調査の結果を、どのように子どもや保護者に伝えたのでしょうか。

 個人票を返してそれでおしまい、ということはなかったでしょうか。

 教育は、「こんなの税金の無駄遣いだ」と政策を否定的に考える教師が、自分のその信念を貫徹するために、いっさい政策に意味をもたせないように努力することが可能な世界なのです。

 新しい学習指導要領が、すべての教師に配布されました。
 こんなの、税金の無駄遣いだ、という主張は、自分がそれを開きもしないことで、その通りの主張になります。
にほんブログ村 教育論・教育問題

 冊子には、改正された教育基本法、学校教育法(抄)、学校教育法施行規則(抄)の他、移行措置関係規定等も収録されています。
 
 教育基本法第二条に新たに加わった内容は何か?
 このことの知識を問うだけでも、「法令」に疎い教師の日常が見えてしまうかもしれません。 

« 失敗と成長の分岐点 | トップページ | マナー違反に対する指導 »

教育」カテゴリの記事

コメント

いちろうさんへ。
具体的な学校・教師の逆コンピテンシーに関するご指摘をありがとうございました。
なぜそのような問題がおこるのか、多面的に検討していきたいと思います。

gawk
不必要なことをしない先生がいいと考えています。
最後までやりきることができないのに、家庭のことや地域のことに口を出したりするのはどうかと思う。中途半端に口出しされて(批判されて)、どんどん依存的になっていった親や子を、少なからず見てきた。

親や教師だけでなく、だれでも思う疑問ですよね。
いちろうさんは、「何もしない」系の教師こそがありがたいとお考えですか?

(*´v゚*)ゞ
学校は何のためにあるのかという、
根源的な問いと、
受験のための学力と躾けという名の服従こそが求められていると信じている姿に疑問を持っています。

いちろうさんの考え方によると、学校教育そのものが「過保護」なシステムということになりませんか?

shock
>誤解が根拠になっているのでほっとしました。

誤解ならよいのですが、
2ヶ月経って、より確信が強くなっています。

残念ですが、はずれですね。
でも、誤解が根拠になっているのでほっとしました。

ヾ(.;.;゚Д゚)ノ
求めていることと、していることが合っていないという指摘。
子育ての経験で言うと、暗象のような主張をする親の子どもは、なかなか自立できない子どもが多い。ベースが過保護だから。いろんな理由をつけながら、結局のところ親が周囲からどう評価されるかという視点で、子どもに勉強や態度を強制する。それと同じものを暗象に感じています。

>「だまっていない人」が増えてくるという利点もあります。
どんなもんだか…。
文句を言う大人をつくっていることはわかるが、それを利点といえるのか?
親のエゴを助長することを利点というなら、・・・・

「だまっていない親」とは、エゴに基づく批判をする親のことではなくて、教師に不適切な指導を受けたり、適切な指導を受けなかったりしたことに対する「正当な要望」のことです。


>子どもたちも、テレビやゲーム漬けになるんじゃないの?

ここのつながりがよく理解できません。

>面白くないもの、忍耐の必要なものを排除していった先に残るのは何?

「面白くないもの」とは何のことですか?

「忍耐の必要なものを排除する」指導とは何ですか?

教師の不正や不当な指導に対する忍耐ですか?

>わがままな大人、依存的な大人、責任を他に押しつける無責任な大人、…そういう大人をつくっている自覚

そういう大人をつくらないために、そういう教師に対する批判をしているのですが?

>批判されるのが嫌で迎合していく

そういう教師を批判しているのですが?

>結果は過保護だから、子どもたちはヘナチョコにしかならないんじゃないの?

結論に結びつく根拠がどこにもありません。

(*≧m≦*)
>よほど子どもに厳しいしつけ方をされていることがよくわかります。

普通のことだよ。親は先に死ぬ。
自立した社会人となり、
みんなが幸せに生きれる社会を目指せる人にする。
あたり前のことじゃないのか?

>「だまっていない人」が増えてくるという利点もあります。

どんなもんだか…。
文句を言う大人をつくっていることはわかるが、それを利点といえるのか? 親のエゴを助長することを利点というなら、学校は崩壊の一途を歩んでいくことになるな。
子どもたちも、テレビやゲーム漬けになるんじゃないの? 面白くないもの、忍耐の必要なものを排除していった先に残るのは何? わがままな大人、依存的な大人、責任を他に押しつける無責任な大人、…そういう大人をつくっている自覚がないんじゃないの?
批判されるのが嫌で迎合していくことに、どんな理由をつけても、結果は過保護だから、子どもたちはヘナチョコにしかならないんじゃないの?

まだいちろうさんはご理解されていないようですが、私はあなたのこれまでの言動について認めてはおりません。また、くだらないやり取りに終始し言葉遊びに付き合うつもりもありません。学校の先生の指導が入りやすいようにすることは当然の指導であり、あなたの言葉を借りれば「しなくてはならない」指導です。生徒のためになることはすべて「しなくてはならない」のです。

これまでの不適切な言動、たとえば何度も私のブログに迷惑なコメントを残されたこと(あなたは「じろう」で書き込んだとの説明をされましたが、それ以外でも書き込みはされています。すべて私の携帯にデータが飛んでくるようにしているので、あなたであることは紛れもない事実です)、まずろさんのところで卑猥な言葉を述べ指摘されたにもかかわらず、ここでも反省することなく継続されていたことなどについて反省し、改めるべきです。それがなされない間は、私が同じ議論のテーブルにつくことはないでしょう。

これは横レス?になるかもしれませんが、失礼します。
いちろうさんは、よほど子どもに厳しいしつけ方をされていることがよくわかります。
「親野智可等」さんの智恵と同じものとたくさんもっていらっしゃるような気がします。
ただ、本当に教師に責任があることの場合は、子どものせいにされては気の毒ですね。
日本人は権力・権威に非常に弱いですから、けっこうだまっているのは得意だと思いますが、そのために権威をもっている側がいかに楽ができたか。
その弊害がひどくなることを防止するためにも、私はこのブログで記事を書き続けています。
その弊害で最も深刻なのは、権威が喪失してしまうことですが、「だまっていない人」が増えてくるという利点もあります。

shock
>一番問題なのは、そういった問題ある教員に指導される生徒ですよね。

依存的だこと。
自分の価値として重視するものであれば、
他に責任を求める姿勢を改めさせることが必要では?
会社でも、思い通りにいかないことの原因は、
すべて自分以外に求める若者が増えている。

教育を間違えていない?

能力の低い人間、あるいは意識の低い人間への人件費はもちろん無駄なのですが、お金で済むならまだ良いのかもしれません。一番問題なのは、そういった問題ある教員に指導される生徒ですよね。実際塾での懇談でも、「授業中に立ち歩く生徒がいても注意できない担任だから、今年度で習う分数の計算ができません」などという愚痴はよく聞かされます。

>「眠っている財産」がないかどうか、だけでもチェックしてみる必要があるかもしれません。

民間に比べコストに対する意識は間違いなく低いでしょうね。これは構造的にどうしてもそうなりがちなのでしょうけれど。

公務員の「税金の無駄遣い」については、私自身も以前、「残業(教師はみんなサービスですが)に伴う光熱費の負担」について批判されたことがありました。
遅くまで学校に残って仕事をして、公的機関を時間外に使用したので「電気代を払え」などと言われらやるせないですよね。
ただ、学校の敷地を勝手に自家用車の「駐車場」にするというのはどうかと思ったことはありました。
学校は紙代も半端でなく使うのですが、裏紙を利用するなど、努力はしていると思います。
「眠っている財産」がないかどうか、だけでもチェックしてみる必要があるかもしれません。

bleah
失礼!!
引用部分でわかると思いましたが、
暗象さんには聞いていません。
日々の記事で充分です。(゚ー゚)

「ねらいを達成するために、具体的に何をどうすればいいのか」
ぜひこの機会に、学校とコミュニケーションをとっていただくことをおすすめします。

保護者として、何ができるか。何をすべきか。
学校として、担任として、何ができるか。
子どもはどうすればよいのか。

ねらいを達成するためにまずしなければいけないことは、個々の子どもの学力の実態把握です。

どんな力が十分で、どこが苦手か。
それはなぜか。
どうすれば力が伸ばせるのか。

「自己教育力」の向上には、「自ら学び自ら考える」態度の育成が欠かせません。

答えは当事者がつかむものであり、その答えに対してたとえば外部機関や保護者等の評価を受けながら、自己の問題把握力、解決力を高めていくことが、「自主・自律」の態度です。

shock
>学力調査のねらいを理解していない

ねらいを達成するために、具体的に何をどうすればいいのか、ご教授願いたいが?
もちろん、ご自身のことばで。

学力調査のねらいを理解していない教員に支払われる人件費こそが、私は税金の無駄遣いであると思います。

(lll゚Д゚)
>教育基本法に掲げられた「教育の目標」を念頭に生活している者にとっては、やはりやるべきことはやっておきたい気がします。

それは、誰に向けての主張なんだ?
単純にここを読むと、
「暗象は当然知っていることなんだけど、
 世の中の先生の多くができていないから、
 それを広く知らしめたい」となる。
で、
だから何なんだ?
ブログを公開して、世間に広めなきゃいけないことか?

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/92794/42487662

この記事へのトラックバック一覧です: 「税金の無駄遣い」という主張を間違いないものにできる教師:

« 失敗と成長の分岐点 | トップページ | マナー違反に対する指導 »

2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
  • 目くばりをするということは、実際にそこに目を遏(とど)めなければならぬ。目には呪力がある。防禦の念力をこめてみた壁は破られにくく、武器もまた損壊しにくい。人にはふしぎな力がある。古代の人はそれをよく知っていた。が、現代人はそれを忘れている。
    「楽毅」第1巻より
  • 知恵というものは、おのれの意のままにならぬ現状をはげしく認識して生ずるものなのである。
    「楽毅」第1巻より
  • 会う人がちがえば、ちがう自己があらわれるということであろうか。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 静寂に染まりきれば、ふたたび起つことはない。生きるということは、起つ、ということだ。自然の静謐に異をとなえることだ。さわがしさを放つことだ。自分のさわがしさを嫌悪するようになれば、人は死ぬ。
    「楽毅」第四巻より
  • 人というものは、自分のやっていることをたれもみていないと思い込んでいるが、じつはたれかがみており、やがて賛同してくれる人があらわれる。
    「春秋の名君」より
  • 寵を受けても驕らず、驕っても高い位を望まず、低い地位にいながら怨まず、怨んでもおのれを抑えることのできる人は少ない
    「沈黙の王」より
  • 小さな信義が、きちんとはたされてこそ、それがつもりつもって、大きな信義を成り立たせる。それゆえに、明君は、小さな信義をおろそかにせず、つねに信義をつむように、心がけるものである
    「歴史の活力」より
  • 奥の深いことと、表現がむずかしいこととは、むしろ逆の関係にある。むずかしい表現のほうが、ぞんがい簡単なことをいっている場合が多く、やさしい表現のほうが、奥の深いことをいえる。
    「歴史の活力」より
  • 黄河の流れは悠久とやむことはない。河床もあがりつづけるのである。いくら堤防の高さをましてもらちのないことであった。
    「侠骨記」より
  • 人はおのれのままで在りたい。それは願望とはいえぬほどそこはかとないものでありながら、じつは最大の欲望である。人の世は、自分が自分であることをゆるさない。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 外をもって仕えている者は信用するに足りぬ。つまり男でも女でも内なる容姿というものがあり、その容姿のすぐれている者こそ、依恃(いじ)にあたいする。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より