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ダメなファシリテーター その4「まとめ方」

 研究授業等で、1単位時間の「まとめ」が上手だなあと感じる授業は意外と少ないものです。
 展開の内容でよくばりすぎたり、もともとの「目標」が不明確だったりすると陥りやすい指導上の課題です。
 
 ファシリテーターとしての「話す」「尋ねる」「聞く」活動は、「対人力」の比重が高いものでしたが、「まとめ方」となると、ぐっと「分析力」「思考力」が問われるものになります。
 まとめ方、分析の仕方としてのミスとしてありがちなのは、

 第一に、質問と意見を混同する人
 「教えてほしい」と質問の形から入っていながら、実際には「お前の考え方はおかしい」という意見を言っているにすぎないケースがよくあります。
 (私も他の方のブログのコメントにはこのような「質問」をします・・・が、たいてい黙殺されます。相手の方としては正当な判断でしょう。)

 形式上は質問の形をとっているので、回答しないと、「なぜ質問に答えないんだ」となるし、回答すると、「何を見当違いのことを言っているんだ」という意見が繰り返される。
 まさに進行役なかせの発言というのはよくあります。

 ここでは、相手を怒らせても、質問はこういうことですか、これについてはこのとおりです、このことはご意見ですか、それは、ご意見として承っておきます・・・と進めるのがよいのでしょう。

 第二に、事実と意見を混同する人
 自分の意見が正しいことを強調したいため、人を納得させるために、事実をもりこみながら述べる人がよくいますが、その事実は意見の根拠にはなっていない場合が多いのです。
 性格にもよりますが、いきなり相手の論理の飛躍を責めたくなる私のような人間は、ファシリテーター向きではないかもしれません。
 しかし、そのコントロールを上手くやっていくことは、教師にも求められる資質・能力です。

 事実は事実として生かしながら、さまざまな意見を引き出していくこと。
 ファシリテーターは、意見を述べたい人だけに発言させることなく、より意見が述べやすい形をつくっていく必要があります。
 授業中の教師も同じです。

 第三に、答えられない質問と答えるべき質問を混同してしまう人
 授業では、教師による自問自答が繰り返される場合があります。
 発問したのに、だれも答えない。だから自分で答えを言ってしまう。
 一番みっともない(というか、理解してほしかったことが、理解されたのか、されていないのかわからないで授業が進む)パターンです。
 これが繰り返されると、生徒は考える習慣をなくしてしまいます。
 ファシリテーターにとっては、参加者の中に答えがある場合は、参加者に聞くことを怠らず、それは「参加者が出すべき答えだ」ということをしっかり理解させることが大切です。

 その他、コンサルティング業が指南する基本的な「フレームワーク」の誤用や乱用という問題もありますが、教師は特別な研修を受けない限りSWOT、PPMなどの分析フレームは知らないわけですから、ここでは省略します。
 
 以上、ファシリテーター・スキルに関する考察をしてきましたが、機会があれば、教師の資質・能力の向上を促す効果が高い「分析フレーム」などを考えていきたいと思います。
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コメント

このあたりのいきさつは、右のTB欄にある「今また、自己破壊的な異国の文化導入」 (校長日記・・学校おやぢつぶYaKi)のコメント欄をどうぞご覧下さい。

annoy
>私も他の方のブログのコメントにはこのような「質問」をします・・・が、たいてい黙殺されます。相手の方としては正当な判断でしょう。

こういうのを読むと不思議に思う。一見自分のことをわかっているように書いているが、その実、自身の行為を正当化しているだけのようにもとれる。イエス・ノーに毛が生えた程度の質問には、わかるように答えて欲しいものです。先読みをして、自身に不利だと思う事柄から逃げるのなら、他人にもそのような対応をすべきと思う。
ダブルスタンダード三人組が、慰めあっているようにしか見えないな‥。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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    「歴史の活力」より
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    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より