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« キャリア教育に関する教師の盲点 | トップページ | フィンランド・メソッドへの批判の内容からわかる「批判的思考力」 »

キャリア教育における教師の最大の弱点

yamamotosanさんからキャリア教育について考えるヒントをいただきました。
 教師が果たせる役割、その弱点を改めて考えてみると、一つ、思い当たることがありました。
 yamamotosanさんは、子どもに対して、

今の社会はどうなのか、醜いことも、正しいことも、現実も理想もすべて伝え、どうあるべきなのか、どうしたいと考えるのか、それを考える力を知識として学ぶとともに、現場で考え、実行する訓練も積んでほしい

という願いをお持ちです。
 たとえば、このことについて教師の最大の弱点は、「意思決定」の機会が非常に少ない、ということなのではないか、そんなことを考えました。
 だから、教師に「意思決定力」が身に付かず、子どもにも「意思決定力」が育たない。
 「話し合いで決めればいいでしょう」という話になる。
 私がここで言いたい「意思決定」は、たとえば、話し合いで決着がつかないケースでの意思決定をさしています。
 教師は、小さな「意思決定」だけは、毎分、毎秒といったサイクルで実施しています(今、授業中なのに寝ているAという生徒にどう声をかけるか? 発問に対して、5人挙手しているが、どのような順にあてるか? 今、Bという生徒から、人を傷付ける発言が出された。そのことについてどんなコメントをするか? 後でBという生徒にどんな指導をするか? 対象となったCという生徒にはどのようなフォローをするか?)。
 学校の「意思決定」は管理職じゃない、みんなでするものだ、と反論される方がいらっしゃるかもしれませんが、私がここで言いたい「意思決定」とは、繰り返しになりますが、たとえばある施策を実施しようとしたとき、企画案が3つ出された。どの企画案にも長所・短所があり、どれを採用しても、喜ぶ人、悲しむ人がいる。話し合いが平行線で収拾がつかない・・・こういうケースで管理職が行うべき意思決定のことです。
 普通はこのような意思決定は管理職が行うのですが(それができなかったので職員会議の位置づけも法令で定められたわけですが)、こういう経営に関わる場面で、教師は民主主義の原理にこだわり、「多数決」で決めようとするのが普通です。・・・と言っても、結局は声の大きい人の主張が通ってしまったりもします。
 あるいは、何でも「今まで通りでいきましょう」と逃げていく。
 多数決は、リスクを避け、責任を回避するという意味で有効な手段になってしまう場合があります。
 そんなことを子どもが学び続けたら・・・。
 強力な説得力や責任感を持っている(意思決定力をもっている)管理職なら問題ないのですが、多くの反対者がいるのに決定を下す勇気のある人は少ないので、学校にはそもそも「意思決定」自体がなかったりする。
 ある学校では、一人の教師の猛烈な反対である事業ができなくなったが、実施するはずの年度になったらその教師は異動でいなくなっていた、ということがありました。「やるやらないのあの長い話し合いの時間は何だったの?」という話です。
 以上のようがことが、学校では教師のリーダーも、子どもたちのリーダーも育ちにくい原因になっているのではないか、という連想につながります。
 メンツにこだわったり、我を通したり、などという低レベルの問題ではなく、確固とした自信をもって意思決定ができる人は学校現場にいるのか。
 意思決定が行われない環境で育った子どもは、社会人になって、現場でその力を磨くしかないのか・・・・。
 そんなことをふと思いました。
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教育」カテゴリの記事

コメント

「今年は野武士」さんからは、7月11日の「教育改革への抵抗と提言」の記事でコメントをいただいて以来ですね。
研修主任というのは、成果主義が導入されると特に厳しくなる立場かもしれません。
「また余計な書類を書かせるなんて!」
「これで上がるのはあなたの評価だけでしょう」などという(無言の)プレッシャーに耐えつつ、子どもの学習状況にだれよりも目を光らせ、そして教師の指導力にもふれざるを得ない、そんな立場になる場合があります。
子どもの学習状況に関する調査ですら「雑務」と呼ばれる可能性のある職場というのは、やはり特殊なところです。
しかし、仕事に共有化できる「夢」がもてるとしたら、こんなにやりがいのある職はありません。

コメントありがとうございます。
公務員の中でも、教師の仕事の特殊性については、様々な人の話からうかがい知ることができます。
シルバー人材センターで一番役に立たないのが元教師であるという話は、「チームによる仕事が下手」「わがまま」などの理由で語られるようです。
クラスでは40人、学年や学校では数十人から数百人規模の集団の司令塔をつとめ続け、「言葉で(基本的には何の抵抗もなく)人が動かせる」ことがしみついてしまうと、「人の指示で動く」ことが苦手になるのでしょう。
こういう教師という人間だけに、自由主義の社会で生き抜いていかなければならない子どもたちの教育を委ねようとすることは、実は非常に危険なことなのではないか、と思い当たることもあります。
様々な問題行動、不登校、学力不振の原因を「家庭環境」「生育歴」に求める傾向がありますが、何も「問題」もなく、むしろいたって真面目に働いている教師たちの職業人としてのあり方にこそ、その根本原因があるのではないか、そういう問いを自らにも投げかけているところです。
私は実家が商売をしていますからある程度「社会」のことはわかっていたつもりですが、行政を経験して、こんなに仕事に厳しい職場があるのかと驚きました。厳しい現場にもいたことがありますが、それでも「いくらでも甘えられる場所」が学校だったことに気づきました。
教職という仕事は本当に特殊であり、成果主義の導入など、少しは「本当の社会」の現実を肌で知る機会を教師自身が体験できることが必要なのではないかと思っています。

<引用>
対立案に負け、悔しい思いをすることもあります。
『自分だって、組織に良かれと思っている!!』(悔しい)
次こそは・・・
そんな内的なエネルギーが組織にとっては大切な活力になるのです。

 校内研修の企画・運営に携わる教師です。
 「組織(学校)をよくしよう。」という、
 意識の教員がたくさんいれば、
 研修は楽です。

<引用>
「リーダーとは 自分の夢に人を参加させることのできる人」(ジェームス・スキナー)

 私も夢を語り、その夢に同僚を参加させられる
 器をもちたいと思いました。

こんばんは。
またまたお取り上げくださいまして、ありがとうございます。

教育現場での意思決定は「多数決」が多いのですね。
多数決は民主主義という隠れ蓑をまとい、結局は事なかれ主義、誰も責任を取らなくとも良く、メンバーが傷つくことのない制度だと思います。

もし、主体性が意識されるのでしたならば、反対にあっても、果敢に挑戦する。
そこから、今までは見えなかった、新しい局面が拓けることもあるのだろうと思います。
私は民間企業におりますので、そこでの意思決定は、あるひとつの目標。つまり、
利潤追求。市場からの支持。効率。品質。コスト。生産性。対外的には企業イメージの向上。内部的には集団にとって得なこと。
意思決定はこれらの要素からなされます。
それでも、究極の選択を迫られる場合は、「どちらか」ではなく「どちらとも」という選択肢も「あり」です。
要素を数値化して示せば誰も納得して、先に進めるのです。
なぜなら、企業は運命共同体で、立場、状況により利害関係があっても、全体にとって不利益な結果にならぬよう、「バランス」という見えざる力が働くからです。

対立案に負け、悔しい思いをすることもあります。
『自分だって、組織に良かれと思っている!!』(悔しい)
次こそは・・・
そんな内的なエネルギーが組織にとっては大切な活力になるのです。

>意思決定が行われない環境で育った子どもは、社会人になって、現場でその力を磨くしかないのか・・・・。

大丈夫だと思います。
悔しさをバネにする生命力を失っていなければ。

「リーダーとは 自分の夢に人を参加させることのできる人」(ジェームス・スキナー)
私の好きなリーダーの『定義』です。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
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    「歴史の活力」より
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    「奇貨居くべし 春風篇」より
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    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より