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社会関係資本喪失の結果と道徳教育の課題

 社会的な交流、人と人との信頼関係、社会参加の度合いなどで測定できる「社会における人と人との絆」をソーシャルキャピタル(社会関係資本)とよぶそうですが、その喪失がもらたしている、あるいはその喪失状況を物語っていると考えられる事件が相次いで起こっています。
 親殺し、無差別通り魔殺人、自殺、・・・。
 人は誰にも相手にされなくなったとき、期待してくれると思っていた相手から気持ちの上で裏切られたとき・・・何らかの形で自分の存在を、より広く(ということはマスコミが取り上げるような大きなことを)示そうとしてしまうことがある・・・。
 自分の存在を示すことが最優先されるので、どんな犠牲が払われようと、相手が何を失おうとかまわない・・・。
 「ソーシャルキャピタルの喪失」がそのような事件のすべての原因であるわけではないでしょうが、その影響の大きさを考えてみたいものです。

 ソーシャルキャピタルが多いほど経済活動は活発になりますが、一方、その結果として格差がおこり、「持たざる人」の自尊心を傷付け、「持てる人」と「持たざる人」の断絶社会活動、経済活動の停滞をもたらす・・・。

 ソーシャルキャピタルの喪失要因を経済活動の結果だけに求めるなら、企業の「門戸開放」などで対応できるかもしれませんが、教育のあり方にその根本原因を求めていくとどうなるのか。
 「学力格差を広げない」という要請がもし公立学校に求められているとすると、何ができるのか。何をしてはいけないのか。
 このような文脈から、様々な立場の様々な意見が展開されています。
 「学力格差を広げないため」の施策を述べると、「学校は学力をつけることだけが目標の場所ではない」という当たり前のことを言って批判しているつもりの人もよく登場します。 

 新しい学習指導要領の総則の「教育課程編成の一般方針」では、知・徳・体のうち、「」の部分の記述が改正教育基本法などを受けて分量的にも大きなものになったのが特徴で、固定観念をはずした広い意味での道徳教育が担うべき様々な課題が示されています。
 豊かな体験活動を通して表面的な理解ではなく生徒の内面に根ざした道徳性の育成を図る際に、特に
生徒が自他の生命を尊重し
規律ある生活ができ
自分の将来を考え
法やきまりの意義の理解を深め
主体的に社会の形成に参画し
国際社会に生きる日本人とての自覚
を身に付けるようにすることなどに配慮しなければならないこととされています。

 このような教育は、学校の教育活動全体を通じて行うもので、「道徳の時間」はその「」として存在する、ということも学習指導要領では示されています。
 「要」の時間の重点目標は何か、何を指導するのか、各教科や総合的な学習の時間、特別活動における指導内容との関連は何か、これらのことの説明責任は、各学校では校長がもつのは当然ですが、教師たちの中心に、「道徳教育の推進を主に担当する教師(道徳教育推進教師)」が位置づけられていることも特色といえます。

 そんなこと言われても、「お前にそんな立場になる資格があるのか」と追及されると困る、と思ってしまう教師がいるかもしれません。
 当然、子どもに行う道徳教育の内容をふまえた自分自身の問いかけも、忘れずにいきたいものです。
 教師の自問自答用の、チェック項目として・・・・。

(中学校の場合)
1 主として自分自身に関すること。

 (1) 望ましい生活習慣を身に付けていますか? 心身の健康の増進は図られていますか? 節度を守り節制に心掛け、調和のある生活をしていますか?
 (2) より高い目標を目指し、希望と勇気をもって着実にやり抜く強い意志をもっていますか?
 (3) 自律の精神を重んじ、自主的に考え、誠実に実行してその結果に責任をもつことができていますか?
 (4) 真理を愛し、真実を求め、理想の実現を目指して自己の人生を切り拓いていっていますか?
 (5) 自己を見つめ、自己の向上を図っていますか? 個性を伸ばして、充実した生き方を追求していますか?

2 主として他の人とのかかわりに関すること。
 (1) 礼儀の意義を理解していますか? 時と場に応じた適切な言動をとっていますか?
 (2) 温かい人間愛の精神を深め、他の人々に対し思いやりの心をもって接していますか?
 (3) 友情の尊さを理解して心から信頼できる同僚をもち、互いに励まし合い、高め合う、そんな職場環境をもっていますか?
 (4) 異性についての正しい理解を深め、互いの人格を尊重するような態度がとれていますか?
 (5) それぞれの個性や立場を尊重し、いろいろなものの見方や考え方があることを理解して、寛容の心をもって謙虚に他に学ぶ姿勢をもっていますか?
 (6) 多くの人々の善意や支えにより、日々の生活や現在の自分があることに感謝し、それにこたえることができていますか?

3 主として自然や崇高なものとのかかわりに関すること。
 (1) 生命の尊さを理解し、かけがえのない自他の生命を尊重する姿勢を大切にしていますか?
 (2) 自然を愛護する活動をしていますか? 美しいものに感動する豊かな心をもち、人間の力を超えたものに対する畏敬の念を深めるような機会をつくっていますか?
 (3) 人間には弱さや醜さを克服する強さや気高さがあることを信じて、人間として生きることに喜びを見いだすように努めていますか?

4 主として集団や社会とのかかわりに関すること。
 (1) 法やきまりの意義を理解し、遵守していますか? ばれなければいいなどと思っていませんか? 自他の権利を重んじ義務を確実に果たして、社会の秩序と規律を高めるように努めていますか?
 (2) 公徳心及び社会連帯の自覚を高め、よりよい社会の実現に努めていますか?
 (3) 正義を重んじ、だれに対しても公正、公平にし、差別や偏見のない社会の実現に努めていますか?
 (4) 自己が属する様々な集団の意義についての理解を深め、役割と責任を自覚し集団生活の向上に努めていますか?
 (5) 勤労の尊さや意義を理解し、奉仕の精神をもって、公共の福祉と社会の発展に努めていますか?
 (6) 父母、祖父母に敬愛の念を深め、家族の一員としての自覚をもって充実した家庭生活を築くことができていますか?
 (7) 学級や学校の一員としての自覚をもち、教師や学校の人々に敬愛の念を深め、協力してよりよい校風を樹立するよう努めていますか?
 (8) 地域社会の一員としての自覚をもって郷土を愛し、社会に尽くした先人や高齢者に尊敬と感謝の念を深め、郷土の発展に努めていますか?
 (9) 日本人としての自覚をもって国(政府などという狭い意味ではなく、郷土や風土や文化、国民などを含む広い意味としての「国」として)を愛し、国家の発展を努めるとともに、優れた伝統の継承と新しい文化の創造に貢献していますか?
 (10) 世界の中の日本人としての自覚をもち、国際的視野に立って、世界の平和と人類の幸福に貢献しようとする姿勢をもっていますか?

 子どもに対しては、指導上、必要となる道徳教育の内容がおわかりいただけたと思います。
 上記の文言は、あくまでも自問自答用のものです・・・。
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第四巻より
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    「歴史の活力」より
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    「奇貨居くべし 春風篇」より
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    「晏子」(第四巻)より
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  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
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  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より