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「売れれば売れるほど失われる信用」の問題

 当ブログに対しても私の教師としての資質についても、積極的なご批判をいただいているおかげで、直接的に面と向かって議論や指導をしている相手方の目線に自分自身を置き換えてつつ、話を進めていくくせがついてきました。自分を批判的に見る自分がそこにいることを意識できることはすばらしいことです。
 いちろうさんはじめ、多くの方には本当に感謝申し上げます。
 当ブログは、教師が陥りがちな失敗に目を向け、それを改善するために必要なこと、あるべき姿を追究することを目的にしていますので、ここしばらくは願ったり叶ったりの状況が続いています。
 私が読者として基本的な対象としているのは教師でありますが、「教師にひどい目にあった」方々が「教育失敗学」というタイトルをふまえてご覧になることも考慮に入れて、なるべく記事を書いていこうと思います。
 私自身の理解力や表現力が及ばないために、私の教え子たちまでもが誤解されていることが無念でなりませんが、直接ご紹介して誤解を解くわけにはいきませんので、文章によって認識を改めていただけるよう努力をするしかありません。
 ひどい教師がいたら、その教え子はみんなひどい目に合っている、とか、子育てをろくにしない親の子どもは、みんなろくでもない・・・なんてことは決してないのですが、どうしても人間は何かの原因を人のせいにしないと気がすまないというか、そうやって精神の安定を図っていくものなのだと実感しております。
 朝令暮改の発想・その6は、「部下は『常に自己正当化する存在』だから追い詰めることも必要」という話です。
 教師も単純な話、「何で私がこんなに努力しているのに子どもは言うことを聞くようにならないのか。親はいったいどんなしつけをしているのだ!」と口に出しやすい存在ですが、「はい、そうですね。仕方がないですね」ではどうしようもないわけで、「自分はどのような仕事のやり方をしてきたのか。自分が生徒に教えてきたことを入学当初から整理するとどうなるか。どこに今、子どもが話を聞かない原因があるのか・・・」と追求していく姿勢が大切だと思うのです。そういう姿勢がなく、「そこそこ聞いているからいいでしょう」などという答えを返す教師に対しては、厳しい言葉を返していくことになります。
 セブンイレブンのチャーハンについて、部下の自己正当化を鵜呑みにしていたら、質の追求などとうてい不可能だ、という話が紹介されています。

 「(そこそこ)売れているからいいのではない。自分たちが納得できていない味の商品が売れていることにこそ危機感を持たなければならない。セブン-イレブンのチャーハンはこの程度かと思われては、売れれば売れるほど信用は失われていく」

 「教育とは答えを教えることではなく、部下に『気づき』を与えることです。部下が自己正当化を始めたら、本人の中で『これ以上は無理だ』と守りに入る意識が生まれ始めている表れです。しかし、限界を突破できれば自信がつきます。これを繰り返しながら部下は成長していくものです。・・・上司が『仕方がない』と思ったときから部下の成長は止まり、組織も停滞が始まります。」
 
 私のリーダー育成もふり返ってみれば同じことでした。
 しかし、このような働きかけが可能になる程度までまずは一人でも多くの生徒を成長させることが大切なのは、言うまでもありません。
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教育」カテゴリの記事

コメント

しょうさん
いつもご丁寧な対応をしていただいてありがとうございます。
しょうさん、いちろうさんのおかげで、自分の記事を受け取める自分がより自覚できるようになりました。
そしてより明確になったのは、自分も含めて、教師のコンピテンシーがますます求められ、特に自己リーダーシップを促す教育の充実を果たしていかなければならないと実感してまいりました。
また有意義な情報交換ができるとよいと熱望しております。
今後ともよろしくお願いいたします。

いちろうさん
ご丁寧なご指摘いつもありがとうございます。
現在の職場では、自己リーダーシップをとるしかありませんので、いちろうさんのおしゃるとおり、これは自分自身へ投げかけている教訓でもあります。

>どうしても人間は何かの原因を人のせいにしないと気がすまないというか、そうやって精神の安定を図っていくものなのだと実感しております。

実感が自身に向いたものであればよいと思うし、

>部下が自己正当化を始めたら、本人の中で『これ以上は無理だ』と守りに入る意識が生まれ始めている表れです。

の「部下」に、ご自分を当てはめていただけると
この間の話が、あなたにとって有意義になるのでは?

ちなみに、
こういうのを、上から目線の書き込みと言います。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
  • 目くばりをするということは、実際にそこに目を遏(とど)めなければならぬ。目には呪力がある。防禦の念力をこめてみた壁は破られにくく、武器もまた損壊しにくい。人にはふしぎな力がある。古代の人はそれをよく知っていた。が、現代人はそれを忘れている。
    「楽毅」第1巻より
  • 知恵というものは、おのれの意のままにならぬ現状をはげしく認識して生ずるものなのである。
    「楽毅」第1巻より
  • 会う人がちがえば、ちがう自己があらわれるということであろうか。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 静寂に染まりきれば、ふたたび起つことはない。生きるということは、起つ、ということだ。自然の静謐に異をとなえることだ。さわがしさを放つことだ。自分のさわがしさを嫌悪するようになれば、人は死ぬ。
    「楽毅」第四巻より
  • 人というものは、自分のやっていることをたれもみていないと思い込んでいるが、じつはたれかがみており、やがて賛同してくれる人があらわれる。
    「春秋の名君」より
  • 寵を受けても驕らず、驕っても高い位を望まず、低い地位にいながら怨まず、怨んでもおのれを抑えることのできる人は少ない
    「沈黙の王」より
  • 小さな信義が、きちんとはたされてこそ、それがつもりつもって、大きな信義を成り立たせる。それゆえに、明君は、小さな信義をおろそかにせず、つねに信義をつむように、心がけるものである
    「歴史の活力」より
  • 奥の深いことと、表現がむずかしいこととは、むしろ逆の関係にある。むずかしい表現のほうが、ぞんがい簡単なことをいっている場合が多く、やさしい表現のほうが、奥の深いことをいえる。
    「歴史の活力」より
  • 黄河の流れは悠久とやむことはない。河床もあがりつづけるのである。いくら堤防の高さをましてもらちのないことであった。
    「侠骨記」より
  • 人はおのれのままで在りたい。それは願望とはいえぬほどそこはかとないものでありながら、じつは最大の欲望である。人の世は、自分が自分であることをゆるさない。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 外をもって仕えている者は信用するに足りぬ。つまり男でも女でも内なる容姿というものがあり、その容姿のすぐれている者こそ、依恃(いじ)にあたいする。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より