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「行事」から考える学校教育

 本日からしばらくの間は、書きためた内容を日時指定で公開してまいりますので、いただいたコメントへの回答ができませんが、ご了承ください。来週以降、できる範囲でご質問等があれば答えさせていただきます。

 記事が500を超えたころから、これらをきちんと整理する必要があると感じながらも、そこまでする時間が確保できないので、私がこだわっていることに関連する記事をブログ内検索で一覧にするといった単純な形でまとめをしてみたいと思います。
 教師の組織的な動き、子どもの成長が手に取るようにわかる活動として、「学校行事」の運営があります。
 「行事」という語句が含まれる記事を下に列挙いたしました。

 「行事」と私の経歴を教員採用時からふり返ると、
1 最初の赴任校
 とにかく行事に力が入る学校としてはトップレベルの環境でした。生徒の動きもそうですが、教師の組織的な動きに多くのことを学ばせられました。
 「教師が動くから生徒が動く」典型的な教育がそこにはありました。
 ストレートな「指導」で、厳しい面を指摘される方もいらっしゃいましたが、子どもたちの成長が教師のやりがいの糧になっていました。
2 二校目
 「教師が動かないから子どもも動かない」典型的な学校でした。
 1校目のノウハウを1年目から次々に導入しましたが、中でも学習活動をからめた「行事」(学習コンテストなど)によって学校が立て直せることがわかりました。
3 教育委員会
 多くの学校の行事を見学することができました。と同時に、そのときの教師の動きにも関心が及ぶようになりました。
4 現任校
 行事のほとんどは生徒の手によって運営されます。
 「生徒が教師を動かす」ことは、外部から見学される先生方から見るとカルチャーショックを受けるかもしれません。
 教師の手の入れ具合が難しく、「教師を頼る」意識を低く保つことが成功の秘訣なのですが、実際には、どのようなタイプの生徒が運営に加わったかに左右されます。
 教師の目から見た完成度は最初に赴任した学校を下回りますが、生徒の達成感、充実感ははるかに上です。
 失敗してもそこから多くを学び、また、実は失敗したかに見えたある時期の行事が、大きな成功の種をまいていたことに後の行事運営の中で気付かされることがあります
 行事が終わると直後にその反省を行いますが、3ヶ月前、1年前の行事で学んでいたことがあったことに後で気付けるように、ここは教師からの指導言、評価言が必要になります。
 短期的には「失敗」でも、長い目で見ればすべて「成功」の源になっているかもしれません。
 これを教師の無為無策の言い訳に使われないよう注意しながら、やはり短期・中期・長期のふり返りをきちんとしておくことは大事だと思います。

タイトル&投稿日
「役」意識を喪失し始めた日本人(序) 08/06/28
ブログから想像される教師像 08/06/23
教師のプレゼン能力向上指針 その1 08/06/06
不信拡大の悪循環からの脱却策 08/06/01
結局、給与が下がるのが気になるの? 08/05/21
教育にかかわる困りものの素人たち 08/05/14
「夏休み(夏期休業日)」の名称変更 08/05/05
土曜日授業の実施は国民の願い 08/04/24
起立拒否(国歌演奏時)で検挙・・・タイでのお話 08/04/24
校長は職人か、芸術家か? 08/04/19
日経新聞 学校だけでは力不足 08/02/19
残業なしの4%調整額は不正受給? 08/02/10
なぜ公務員の自覚が足りない教員が多いのか 08/01/19
『学校の絞め殺し学』第4回~直面問題近視眼症候群~ 07/12/23
ネット社会で可能になった透明人間 07/12/08
習慣に支配される3年目クライシス 07/09/17
奇跡を起こす7つの信念(⑥、⑦) 07/08/20
成功に向かってばく進する人がもつ7つの特性(④~⑦) 07/08/18
「子ども第一主義」を掲げる主義 07/08/05
事大主義が事大主義を生む 07/08/03
「困った教師」と官僚主義 07/08/03
子どもに甘える教師 07/05/10
齋藤孝「教育力」から教師の「逆コンピテンシー」を読むーその3 「場」の空気 07/01/28
教育の場を戦場にたとえると・・・ 07/01/20
Win-Win-Winの学校選択 05/11/05
悪口だけは一人前という悪口 05/11/04
密度を上げる ノットイコール 多忙になる 05/10/26
職員会議の評価方法は? 05/10/23
組織と呼べる条件は?
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コメント

sad
>本日からしばらくの間は、書きためた内容を日時指定で公開してまいりますので、いただいたコメントへの回答ができませんが、ご了承ください。

応えてくれない面白さを楽しんでいたのに‥‥。
頓珍漢な対応が1週間も見れないのか?
もう夏休みじゃないのか?

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
  • 目くばりをするということは、実際にそこに目を遏(とど)めなければならぬ。目には呪力がある。防禦の念力をこめてみた壁は破られにくく、武器もまた損壊しにくい。人にはふしぎな力がある。古代の人はそれをよく知っていた。が、現代人はそれを忘れている。
    「楽毅」第1巻より
  • 知恵というものは、おのれの意のままにならぬ現状をはげしく認識して生ずるものなのである。
    「楽毅」第1巻より
  • 会う人がちがえば、ちがう自己があらわれるということであろうか。
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    「楽毅」第四巻より
  • 人というものは、自分のやっていることをたれもみていないと思い込んでいるが、じつはたれかがみており、やがて賛同してくれる人があらわれる。
    「春秋の名君」より
  • 寵を受けても驕らず、驕っても高い位を望まず、低い地位にいながら怨まず、怨んでもおのれを抑えることのできる人は少ない
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    「歴史の活力」より
  • 奥の深いことと、表現がむずかしいこととは、むしろ逆の関係にある。むずかしい表現のほうが、ぞんがい簡単なことをいっている場合が多く、やさしい表現のほうが、奥の深いことをいえる。
    「歴史の活力」より
  • 黄河の流れは悠久とやむことはない。河床もあがりつづけるのである。いくら堤防の高さをましてもらちのないことであった。
    「侠骨記」より
  • 人はおのれのままで在りたい。それは願望とはいえぬほどそこはかとないものでありながら、じつは最大の欲望である。人の世は、自分が自分であることをゆるさない。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 外をもって仕えている者は信用するに足りぬ。つまり男でも女でも内なる容姿というものがあり、その容姿のすぐれている者こそ、依恃(いじ)にあたいする。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より