学校経営者としての5つの壁
いちろうさんから、「学校経営者としての5つの悩み」の記事に関する批判(「なんか、違っていない?」)をいただいておりますので、ここでお答えしたいと思います。
>「学校経営についての自分の判断は正しいのだろうか」
みんなで決めればいいじゃない。営業(先生)の声を聞かずにするのか? 営業の声を年長者の経験と知識で方向性を持ってまとめれば、ほぼ失敗はないと思うのだが? どうも、暗象の文章からは、学校の先生たちに信頼関係が成り立っていないというのは読みとれる。 校長個人の責任ではなく、組織体としての責任じゃないのか?
学校経営の判断に迷っているケースというのは、当然、「みんなで決めて済んでいること」を指すわけではなく、たとえばAという教師が提案して、4割方の教師の賛同を得ているのだが、6割は反対している。
このようなとき、校長の力量が問われてくるわけです。
おわかりいただけると思いますが、経営判断は、「多数決」をもとに決めるものではありません。
6割の反対があっても、提案の内容によっては、実施に踏み切るのは校長の判断です。
かたいことを言えば、上司である校長は部下に対して職務命令を出すことができます。この命令に違反すると教職員は法令違反で処分の対象になります。・・・でも普通は、こんな形で教育の指導は成り立ちにくい。
校長は、その提案を実施した後、子どもがよかったと評価してくれ、子どもに力がつき、当初は反対していた教師も子どもの成長をみて「やってよかった」と思える、そういう自信や信念のようなものがあるから、実施に踏み切るわけです。
単純な例でしたが、校長が簡単に判断できずに困るケースというのはけっこうあるものです。
>「自分の(教育長の)経営理念が校内の教師たちに伝わらない」
先生にさえ伝えられないものが校長になっているのか? 暗象的には、伝わらないのではなく、伝えらる力のない問題教師なんじゃないのか? そんなのが校長してたらダメだろう。 あれっ? それ以前に、校長じゃなく教育長なのか?
上記のケースでは、教師の中で「うまくいきっこない」「仕事が増えるから嫌だ」「私の専門ではないからやりたくない」という考えをもつ人が反対にまわるわけです。
「子どものためになることをしたい」という校長の希望は、どうしても教師の負担増というものに直結しがちです。
その負担を自分の成長のためにもぜひ引き受けたい、という教師ばかりではない。
レベルは低くなりますが、たとえば、「研究授業」をやりたくない、と駄々をこねる教師は必ずいます。
校長が経営理念に、教師が互いに切磋琢磨しあい、よりよい授業とは何かを校内研究で追求していけるようにしたい、と考えていても、最も切磋琢磨の必要がある教師ほど、「授業を人から見られること」から逃げたがる。
研究部では「持ち回り」というルールをつくって、わがままを許さないように工夫しても、どうしても「私はできません」という人が出てくる。
こういう教師には、とにかく結果として「成功体験」にもっていけるよう、細心の準備を怠らずにいかなければならないのですが、コミュニケーションが不足していると、うまくいきません。
>指導に工夫を加えていっても、なかなか成果があがらない
それは「指導」とはいいません。「指」です。
おっしゃるとおりです。
「指導」になっていない実践が学校には非常にたくさん見られます。
間違った(それもとても明らかなミス)漢字にも大きな花丸がついて帰ってきたりする。
校長の苦情対応の件数を集計したデータはどこかにあるでしょうか。
苦情の内容を整理すれば、「言いがかり系」「非常識系」のものもありますが、教師の資質・能力にかかわるものも多いのです。
教師の指導力の向上というのは、どの時代も同じかもしれませんが大きな経営課題になっています。
>主任級の人材がいない、育たない
指導者たるもの、育たないと言うのはただの逃げです。自らの力で育てるものです。
教師の資質・能力にかかわる課題を、現状では、異動で調整している部分があります。
フラットな学校現場では、年配でも主任経験のない教師がいますから、若い教師に「どうしても自分が仕事をたくさん覚えておかなければならない」「いつかは自分もそういう立場にならなければならない」というプレッシャーを感じない人がいるのでしょう。
「(主幹になっても)どうせ給料はたいして変わらないのだから、今のままでいい」という教師はどう育っていくのか。そもそも教師には「育つ」という感覚があるのか。
この問題で頭を悩ませているのは、もちろん校長だけではありません。
>自分はこの学校のために何ができているのか
そんなことを本気で思うのなら、お辞めになるのが子どもたちのためです。
校長はPTAとのつきあいが多いですから、「子どもにとっての校長」という視点を失いがちです。
「この学校」の中心に「子ども」が位置していることが校長職につく大前提であることは言うまでもありません。
>これらの解決のために、その当事者(管理職)以外の人たちにできることとは何でしょうか。
なんで上の人なら助けなきゃいけないんだ?
こんな程度の、商品券を配ったり、
ゴマをすってなったような校長は、
辞めていただくのが一番の方策でしょう。
それが暗象の意見じゃなかったのか?
子どもには担任や教職員、教師には同僚や管理職がつねにサポート可能な存在として身近にいますが、校長というのは孤独なものです(まずろさんのおっしゃるとおりです)。
主幹職の位置づけが法令に明確になったにしろ、校長は現場と行政(そして子どもやPTA、世論も)の板挟みで、非常に厳しい状況においこまれることがありますが、学校にもエグゼクティブ・コーチングの必要性が検討されてもよいかもしれない・・・という認識をもっています。
もちろん、自己教育力等でカバーできればよいのですが。



最近のコメント