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わかりやすい授業の条件

 教師の授業力を構成する「聞き手を納得させるプレゼン能力」。7つのポイントのうち、残った5つについてです。
その3 要点は、手を変え品を替え、何回も繰り返す。
 教育実習生の授業ではよくあることなのですが、あることの説明、解説をしているかと思ったら、いつの間にか質問になっていた。何かを答えなければならないと気が付いたときには、もう教師の問いは終わっている。
 同様に、「もう一度、質問して下さい」と生徒から言われたことがある教師は多いのではないでしょうか。
 生徒の方では、指名されてから初めて考えるモードに入るパターンが定着している場合があるので、教師によっては、指名してから問うのを授業のスタイルにしている人もいます。
 また、中心発問のようなもの、大きな課題については、あらかじめカードに書いておき、説明した後、黒板にはっていくというパターンが、特に小学校では多く見られます。
 要点にあたる部分はわざといつも繰り返しながら話す教師もいました。
 授業の中での「繰り返し」は子どもの理解を定着させようとするねらいがあるわけですが、教師だけが表現する立場にならないように配慮することも大切かもしれません。
その4 まず全体を話し、それから部分へ移り、最後にもう一度、全体へ戻る。
 俯瞰(ふかん)→注視→再俯瞰
 清掃活動を例にとって説明しましたが、授業の中でも、たとえば導入部分とまとめ(整理)の部分における「俯瞰」は大切な要素です。
 全体像が分かった上で、部分の分析に入り、その分析結果を用いて全体を見たときに、改めて全体像の理解が深まる、そのような授業を、たとえば歴史的分野の学習ではよく行います。
 集団を相手に全体指導を行う場合、たとえば一人はみ出ている生徒がいるとしたら、いきなりその生徒に問題を投げかけるのではなくて、まずは「全体的にほぼきちんと整列できています」と「多くの人にはかかわらないことだけど・・・」というニュアンスの言葉を入れておいてから、「あなたが少し~すれば完璧ですね」と指導する。
 そして、「これで全体、整いました」としめくくる。
 10秒程度の指導なのですが、個別から全体に入るより、全体から個別に入って全体に戻った方が、ほとんどの生徒に残る印象は悪いものではなくなるはずです。
 授業でもこのような場面はたくさんあるでしょう。
その5 図解で示す。ビジュアルな整理は情報を共有し、聞き手のレベルも上がる。
 図解は教師の中でも得意不得意があるかもしれません。
 研究推進校の指定を受けたり、研究大会で発表しなければならないときなどは、よく研究の構造図が作られますが、やはり箇条書き、文章よりも図の方が頭に入っていきやすいでしょう。
 ただ、たとえば→の意味や、囲みの部分の使い方などは、自己流で行われると、かえって意味がわからなくなってしまいかねません。
 また、図は基本的に単純化されたものですから、理解面でいうと大きな落とし穴になっている可能性があり、注意が必要です。
その6 箇条書きで話す。「3」を使用する
  (問題は3つあります。まずは、・・・)。
 
 3分とか5分の長さの話をするときには、必ず用いたいフレーズですね。
 「3」の魔力についてはいつかふれたかもしれません。
 ちょっと話はそれますが、なぜ三人寄ると、「文殊の知恵」が出るのでしょうか。
 なぜメダルは金・銀・銅だけで、四位以下の人にはでないのでしょうか。
 三大~のように「三点セット」にする発想は、どこから生まれたのでしょうか。
 研究してみたいテーマです。
その7 ポイントになる人を見分け、その人に語り、要所要所でうなずかせる。
 授業では、内容が理解されているかどうかの判断は、生徒の表情でほぼわかるものですが、中には「うなずき上手」の生徒がいるので注意が必要です。あまり信用してはいけません。初めは見分けるのが難しいのですが、実際に問いをぶつけてみれば、わかっていたのかどうかがすぐに判断できます。
 これら5つのポイントは、「わかりやすい授業とは何か」という問いのヒントや解答になっている部分があるので、整理してみるといいかもしれません。
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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より