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ブログに見られる教員の特質

 「あなたとは考え方が違う」と対話を拒否する人、「Aではなく、Bも」と要求されると、「AだけだったのがBだけになる」など、180度無理に舵をきってしまう人、子どもだけでなく、教員にも見られます。
 大人だけに、ほんとうに指導するのが難しい。
 上司としての管理職・人事権をもつ行政というのはたいへんな責務を担っているものです。
 子どもの場合は、周囲の子どもが「それはおかしいよ」と言えば改善されるかもしれませんが、教員の場合、管理職・行政・保護者という対立軸をもって閉鎖的集団主義がつくられている場合、周囲の教員が批判することが難しい。
 「みんなは一人のために、一人はみんなのために」のうち、問題となるのは、後者が何を要求させられているか、ということです。同一の価値観が強制される恐れがある。
 自己申告や外部評価は、このような問題が文書の形になることで、「毎年必ず同じ失敗が繰り返される」失敗をある程度防止することができます。
 ブログというのは自己主張の強い人がそもそもやっているもので、かつ匿名性が高いため、言葉が極端に走りやすいのですが、教員に限って言えば、それはもともと持っている資質が表れただけなのかもしれません。
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教育」カテゴリの記事

コメント

まずろさん、コメントありがとうございます。
指導主事経験者である私の発言が、どうしても行政よりに聞こえてしまうことは、反感を持たれる原因の一つにあるかと思います。
しかし、「教育委員会の犬」と当時は呼ばれながら、施策を軌道に乗せるため汗水(涙も)を流して努力してきた目的は、「子どもへのより良い教育を実現させるため」です。
ブログ上で大切にしたいのは、さまざまな施策に反対する人が、どのような論理で反対するのかを相手もこちらも明確に理解できるようにすることと、「折り合い」をつけるポイントを見つけることです。
斎藤孝は批判されるとそれへの対応できりがなくなるからブログをやらない主義だそうですが、私の場合は批判が教育の前進のために必要なものだと考えています。
閉鎖空間の中でさらに殻に閉じこもられるのが最もやっかいなのです。
どなたかのように今勤務している学校での自分の実践について具体的なことを書くことはできませんが、教育委員会を去らなければならなかったことにも後ろめたい思いを持っているので、教育一般のことについて、今後もさまざまな考えを発信していきたいと思います。

この難しさは新卒者のまだまだ子供と変わらぬ意識が抜けきらぬうちに、「先生、先生」と呼ばれ、人の指導をし、またその指導に向き合う相手が常に子供であるという点にあるのかもしれませんね。

知らず知らず人は傲慢に陥りやすく、独りよがりが多い。
そんなこの職のもつ宿命を背負いながらも真摯に成長していこうとできるのは他の職よりたいへんなのかもしれません。

あなたの記事にてある指導の話題が出たとき
(今回の一連ではなく)、他のコメントにおいでの現場教師の視線は指導者側の都合による視点を出ないものでした。
教師側から見た厄介さ、面倒さ、しかしそれは同僚性という観点で見ると、自分も力及ばない時期に先輩にお世話になったから力のない同僚のフォローは仕方ない役割なのだと。
そういった内容のやり取りだったでしょうか。

確かに同僚性を重視する観点は一理ある。
でももっと大事にせねばならぬ優先順位があるという思いをおっしゃったとき、非常に胸が晴れる気持ちでした。

今の子どものこの学年、この時期は二度と帰らない。
目の前の子どもたちを現場教師の成長のために
犠牲になることをどこまで求めることが許されるのか。

「先生、先生」と呼ばれているうちに、知らず知らずに子供よりも、自分たちの労働条件や立場を優先する姿勢がいつの間にか蔓延していることは怖いことだと思います。


あなたの視点はまず子どもにプライオリティ高く置かれていることがとても共感できます。

豊富な経験に基づく現場に根ざした視点と行政機関に属された中での多くの知識、それを礎に更に勉強された丁寧な考察がその愛情を支えている点に説得力を感じます。

またいろいろ勉強させてくださいね。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より