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教師のストレスの原因

 教職というのは、確かに精神的なストレスを抱えやすい職業です。
 休職者のデータもそれを物語っています。
 休職者を減らす取り組みを行政が考えたとき、「ストレスを取り除く」施策は大切だと思いますが、一部で、近年の業績評価人事考課制度、管理職による指導等が教職員のストレスを助長しているという見解があります。
 自分の職務の成果を直視しなければならない人事効果制度は、たとえば責任感が強く、目標が高く、自分を責める傾向が強い人にとっては、ストレスの原因になることは考えられます。
 しかし、この制度をしっかり浸透させることによって、教師が仕事のどこでどのように悩んでいるか、同僚との協力関係はどうか、生活指導ではどうか、教科の専門性ではどうかなど、具体的な問題点を管理職が把握し、学校運営の改善に生かしたり、相談にのったり医療機関や研修先を紹介したりするチャンスも増えます。
 教師のストレスは「一人で抱え込まない」ことが大切で、360度のフォローの体制が必要です。そういう共通理解があれば、極端な話、自己申告書をオープンにして本物の360度評価を実施することも不可能ではありません。最も関心を呼ぶべきなのは、中学校ではあまり共通理解がないと思われるその教師の教科の専門性について。どんな研究をして、どのような成果を残してきた人なのか。専門以外にもどんな分野に関心があり、どんな興味を抱いているのか。普通の人物像を超えた「人間観」の共通理解ができるのは、たとえば大学附属のように、毎年研究発表をしているような学校では可能です。それを全公立学校に求めようとは思いませんが、「意外」と言っては失礼かもしれませんが、おもしろい発見がたくさんあるかもしれません。
 さて、ストレス対策ですが、ある地域では、スクールカウンセラーの仕事は生徒ではなく教師の話を聞くことだろうと思ったこともありました。
 多くの教師が人とのコミュニケーションとか社会性の欠如によって精神的に追い込まれるケースがありますが、これは「社会性を実社会で身に付けてきたはずの社会人」を教師に登用した場合でも実際に起こっています。
 いちろうさんから、私のような教師が「統計的な事実として、年間3万人もの人が自殺しています。直接の原因を作っているとはいいませんが、気づかずに遠因をつくる片棒を担いでいるんじゃないか」とか、引きこもりを増加させる社会全体の傾向をつくっているなどと批判されていますが、このような情緒主義的な意見に対して、それが情緒主義であるがゆえに、容易に反論できない問題を抱えているのも教職という「公的な」立場の人間です。
 中には、「私共空間」の住人になってしまい、たとえば児童の死亡事故という重大な事実の領域の問題について、保護者の教育のあり方という価値や想像の領域の問題を前面に出してくるような教師がいますが、教師の指導が情緒主義、主観主義に陥ると、重大事故というのは本当に防ぎにくくなることを経験を通して知っているので、こういうケースでは発言することを抑えられません。
 情緒主義的な批判に対しては、たとえば、「自殺者3万人のうち、学校問題が原因の自殺者数は約1%です。」などというデータを挙げてこたえることも可能ですが、この数字に関しては、少ないから問題はないなどと言うつもりはありません。年間300人を超える学校問題の自殺者数というのはかなり多いと思っています。
 なお、自殺者の6割弱は50歳以上、自殺原因の7割強は、健康問題と経済・生活問題です。もちろんそれは主要な原因であり、「学校時代にいじめられた経験がある。恵まれた家庭ではなかった。職場の人間関係がぎくしゃくしていた」などという問題も背景にあるかもしれません。
 教師というのは、その立場が公的であるがゆえに責任も重く、全体の奉仕者としてどのようなことに価値を見出していくべきか、常に追求していかなければなりません。ストレスがかかるのは当然の仕事なのであり、それに強くなる自己防衛システムがあることは、教師の資質として欠かせないものと言えるかもしれません。
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教育」カテゴリの記事

コメント

この前、とある県の教育関係におられる方々とお会いする機会があったのですが、「こどもたちが元気に育つには何が必要だと思われますか?」と尋ねられたので、私は「まずは、大人が健康、元気であることが大切だと思います」とお答えしました。

現在、日本において教育のあり方を真剣に考えてらっしゃっているのが、とても伝わってきました。

元気じゃない(元気の定義は様々だとは思いますが)大人が何を言っても、そのセリフにはパワーはなく、ストレスで疲れている体での行動には、良い影響力を発信するパワーがあるとは思えません。

人間は、一人で生きているわけではないので(人と人との間の相互作用)、人生の先輩の私たちが、まずは、心身共に健康で、こどもたちに、「みんなは本来、それぞれに尊重されるに値する、人間なんだよ~」と、発信していきたいな・・と感じています。

あら! 思いが募って、こんなコメントしてしまってよかったのかしら?

もし、失礼になってましたら、申し訳ありません!

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より