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「叱らない」で済む指導をする理由

 親野智可等著『「叱らない」しつけ』(PHP研究所)には、著者の小学校教諭時代の苦い経験が公開されています。
 新学期の担任の発表で、他のクラスでは子どもが大喜びし、自分のときは冷たい反応。
 原因は、ご自分のそれまでの指導法にあったと書かれており、「叱らなくて済むシステム」という話に続くのですが、中学校の立場からすると、子どもの前で担任名が発表されるという方法、そして発表後に反応させてしまうシステム自体が大きな間違いです。
 傷つくのは教師だけではなく、子どもたちの心にも傷は残っていくのです。
 思い起こせば、自分の小学校時代もそんなことがあった気がします。
 厳しい先生なのでショックを受けましたが、発表後のクラスメイトの反応にもショックを隠せませんでした。
 中学校では、全体の前で発表があるケースでも、「反応しないように」「それはなぜか」という話から入り、それでも大騒ぎしだす子どもにはさらに指導しなければいけないわけです。
 教師の人気バロメーターが測定できてしまうようなシステムは、言葉がきついですが、いじめを公認しているようなものです。
 高校教師の場合は、初めから叱ったり指導したりするつもりのない教師がいるのが気になります。
 ある都立高校では、遅刻指導の甘さが学校運営連絡協議会で話題になったそうです。(日経の記事「遅刻に甘い学校~信頼裏切るいい加減さ~」より)
 保護者からの問いかけに、
 生徒は、「みんな遅れてくる。先生は優しいから大丈夫
 教師は、「大学へ提出する書類には遅刻の欄がないので心配はいらない
 「学校に来るだけまし」「遅刻指導をして来なくなるのがこわい」ということでしょうか。
 携帯電話の学校持ち込みが、小学校と高校ではOKで、中学校でだけ禁止されているのはおかしい、という声もあります。 
 小中高の生活指導の連携は学習指導の連携以上に難しそうです。
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より