ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 社会科教師の逆コンピテンシー その4 教師の視線 | トップページ | 教科書の革新が学力向上への切り札か »

社会科教師の逆コンピテンシー その5 発問のねらい

 第5回のテーマは、「対人指導力対人サポート力)(②対人のB調整・統合力)」です。
 「対人関係力」不足の教師に「対人指導力」は期待できません。
 いきなり余談で申し訳ありませんが、近隣の女子校の生徒のスカート丈が短くなってきていることに注目しています。
 女子の服装指導・・・多くの学校の悩みでしょう。
 近隣の女子校の場合、指導の放棄が始まった現れです。
 指導の中心となっていた教師が異動したか退職したか、事情はよくわかりません。ときに指導が生徒本人や保護者の反感を招き、苦情でつぶされる教師もいますから、「強い指導」を安全のために避けたがる気持ちはわかりますが、現状はとても惨憺たるものになっています。
 服装指導が甘くなっている現状について、最も喜んでいるのは誰でしょうか?
 このブログをちょくちょくご覧になっていただいている方には、簡単に予想できる問題ですね。
 服装指導など、だれも好きこのんでやりたがる類のものではありません。
 生徒に嫌われるのを避けるため、「生徒指導部ではないから」などという理由で、担任であっても指導できない教師がいます。こういう教師は、「指導できない」と見られるプレッシャーをいつも持っていますから、指導しない教師がまわりに増えれば増えるほど、気が楽になって生き生きし始めます。
 子どもも教師も生き生きする、「いい学校」の女子たちが、みんな自主的に晒し者になっていくわけです。
 スカート丈と相関がとれる学校情報・生徒情報とは何でしょうか。文化人類学者にでも分析してもらいたいものです。
 さて、授業では、教師の発問の意図が非常に不明確であり、それが原因で生徒が発言できないでいるケースをよく目にします。
 こういうとき、教師は発問に手を加えることで、発言を促すようにするのですが、それがますます混乱を招く場合も多い。何に答えたらよいのか、子どもがどんどんわからなくなってくる。
 過去にも述べましたが、私はこれを「北風発問」と呼んでおり、反対にどんどん答えや新しい問いを生む「太陽発問」力を磨くことを心がけているわけです。
 発問し、生徒が答えたらそれで終わり、ではなく、発言内容を要約したり、要旨を確認したり、そこから新たな問題を促すコメントを入れたりと、対話になっていく形が「太陽発問」になる一つの条件です。理解を促し、理解を深めるだけでなく、わからない部分というのがあることをわからせる。それが発問のねらいです。
 教師の逆コンピテンシーとして、時間内に単元の指導を終わらせるために、生徒の理解度をいっさい確認せずに、一方的に授業を進める人がいます。
 自分は「ああ、時間内に終わった」と満足しているのですが、子どもたちが消化不良のまま、おいていかれている。しかし、教師が満足そうなので、それでいいのだと勘違いし、学力がつかないことが常態化する・・・・。これもよくあるケースでしょう。
 指導力ではなくて、「時間内に終わらせる」発表力でしかありません。
試験問題】 生徒が意味を取り違えることのない明確な発問をするために、あなたが心がけていることは何ですか。その発問が明確であると言える根拠もあわせて述べなさい。
試験問題】 あなたの隣のクラスの担任は、服装や生活態度の指導をほとんどしません。そのため、あなたのクラスの生徒が、さまざまな不満をぶつけてくるようになってきました。「どうしてうちのクラスだけ厳しいの?」こういう声に対して、あなたならどのような指導を展開しますか。
にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログへブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ

« 社会科教師の逆コンピテンシー その4 教師の視線 | トップページ | 教科書の革新が学力向上への切り札か »

教育」カテゴリの記事

社会科」カテゴリの記事

社会科教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 社会科教師の逆コンピテンシー その5 発問のねらい:

« 社会科教師の逆コンピテンシー その4 教師の視線 | トップページ | 教科書の革新が学力向上への切り札か »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より