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社会科教師の逆コンピテンシー その12 新しい教科書モデル

 第12回は、「戦略創造力(④戦略のC創造力)」がテーマです。
 地理や歴史を学ぶとき、あなたは「考えること」「覚えること」「調べること」「自分の考えを述べること」のうちでは、どれを最も重視しますか。
 最も時間を費やしているのはどれですか。
 ・・・という質問を生徒にしたとき、どんな答えが返ってくるでしょう。教師ならどうでしょう。
 生徒のそれぞれの解答に対して、「先生は、そのことについてどのような材料をどのような方法で提供してくれますか」と聞いた場合はどうでしょう。
 知識や理解を中心に、私立大学の入試問題のような穴埋めプリントで教えている教師と生徒との間には、一定の信頼関係が生まれて安定しています。
 穴埋めのところを覚えれば、テストでいい点がとれる。
 現行の学習指導要領は、このような社会科教育では目標に掲げる資質は身に付かないので、内容に大きな工夫を加えましたが、結果は失敗に終わろうとしています。
 教師の逆コンピテンシーが、学習指導要領ではなく、生徒・保護者側のニーズに沿っているという理由でコンピテンシーになってしまっている。
 基本的に、教師の教え方を改善させる教育が難しいことは、研修や研究会を飽きるほど見ている自分は強く実感していますが、役所にいるだけの人には理解できないのです。
 では、養成や選抜の段階で・・・という話になりますが、こちらは大学生が受けてきた教育が近すぎて、何が求められているのかを実感するところまでが遠い道のりになっています。
 子どもや保護者の社会科(に限らないかもしれませんが)学習に求める目標=テストでいい点を取ることに、教師が合わせた形というのが、多くの社会科の授業の主流になっていることでしょう。
 教師は子どもに知識が身に付かないことに、大きな危機感、恐怖心を持っていて(それがないと自分の存在意義が否定されると自覚する)、「学び方」「調べ方」「考え方」を身に付けさせることは二の次になっています。
 しかし、そのような背景で教師が子どもに身に付けさせようとやっきになっているのは実は「知識」ではなくて、一種の「条件反射」のようなものでしょう。
 本当にその内容(知識)を身に付けさせたいと強く思っているのかどうか、毎時間の内容に照らして考えてみてはどうでしょう。まさか教師が、これは受験に出そうだからという理由だけで、教えている(こういうのは「教える」ことではなくて「与えている」とでも表現すべきなのでしょうか)情報はないでしょうか。
 「本物の知識を伝えたいのだが、子どもや保護者のニーズがネックになっている」というのなら、ニーズの方向性を変えることで、教師の「教えがい」も変えることができるはずです。
 まずは、定期考査問題を見直したいものです。
 文部科学省に求められる次なる取り組みとして考えられることは何でしょうか。
 学力調査的な問題を一般から多く募集して吟味し、「いい問題」を公開して中学生に解かせてみること。公開しないものを学校に提供して、定期考査に活用させること。
 学習指導要領に基づく指導の「評価」に切り込む施策が必要で、少しでも「目標準拠評価」の信頼性の担保になるものを提供すべきでしょう。
 教科書は無償でも、おそらくほとんどの学校では問題集や資料集などの教材を買わせているはずです。
 「義務教育は無償」という原則を、教材にまで広げるべきかもしれません。ということは、「問題集一体型の教科書」という新しいスタンダードが見えてきます。
試験問題】 定期考査の問題で、生徒の保護者から「習っていない問題が出された」という苦情が寄せられたとき、あなたならどのような話をして保護者と生徒を納得させることができますか。
(余談ですが、ある小学校で、学校では学習していない問題を担任が出題し、「塾で習って知っている人が多いからいいだろう」と言ったという話を聞きました。公立小学校の恐ろしさの一面をまた見ることになりました。)
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より