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社会科教師の逆コンピテンシー その4 教師の視線

 第4回は、「②対人」の分野になります。
 ②対人(子どもや保護者、他の教師に向き合う教師)の分野は、「○○先生はあまり発言をさせてくれない、あまり褒めたり適切な助言をしてくれたりしない、自分の考えを発表しにくい」と生徒が感じてしまう逆コンピテンシーです。
 今回のテーマは、「対人関係力関係構築力)(②対人のA実行力)」です。この力が不足しているかどうかは、授業中の教師の視線を分析すればよくわかります。
 黒板と教科書や資料を往復してばかりで、生徒観察ができない。限られた数の発言者にしか目が向いていない。こういう教師は少なくありません。
 目が向いていないということは心が向いていないわけで、指導中に生徒からもれる声を拾うこともできず、発表に対して満足のいくコメントも出せない。
 子どもにとっては目の前で繰り広げられていることが、テレビの中のことと同じに見えてくる。
 だから、順番に答えさせるような指導をし出すと、迷惑がる。
 「自分たちは視聴者であって、役者ではないはずだ・・・」「内職のじゃまをするな・・・」
 こういう教師が多い学校では、生徒同士の関係も同じようなものになっていきます。
 さすがに小学校ではごく少数でしょうが、一日6時間も「関係構築力」の不足している状況に置かれれば、「社会性」が育まれる可能性はどんどん小さくなっていくでしょう。
 昔は、「社会性」がほとんどないのに、「社会科」の成績だけはよい、という子どもがいたかもしれません。
 社会科の目標がいかに指導者の側に認識されていないかが象徴的に見られる事例です。
 【試験問題】 あなたが学級経営の中で、「共感的な人間関係を築く」という目標を掲げた場合、それを実現するためにあなた自身が心がけようと思うことは何ですか。また、その心がけがなぜ生徒たちの共感的な人間関係を築くことに結びつくのですか。述べなさい。
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より