ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 社会科教師の逆コンピテンシー その8 傍観者とマスコミ化した教師 | トップページ | 評価以前の指導の問題 »

子どもが発揮できる「成果統合力」=当事者意識(自治意識)の涵養

 教師たちは、自分たちが学校を担うチームの一員であるという自覚をどれだけもっているのでしょうか。
 学校運営連絡協議会で、いきなりこんな質問をぶつけられたら、どのように答えられるでしょう。
 成果統合力のある教師なら、その問いにいきなり分掌組織や学年経営の話から入らずに、生徒会活動や学級委員指導をたとえにして「自治的・自律的な活動」の実態とその指導のあり方を説明し、保護者がそこにどうかかわるべきかを自覚できるようにもっていくところまでいくでしょう。
 「問い」をもらえば、そこが相手の自覚や自発的行動を促すチャンスであると認識し、時機を逃さず成果統合の場に引き入れられる力が教師のコンピテンシーの一つです。
 教師集団の動きに成果統合力が適用されていれば、間違いなく子どもたちにもその力を身に付けさせたり、そういう志向性を持たせたりするように指導できるはずです。
 生徒会や学級委員会がかざりではなく、本当に自治の主体になっているかどうか。
 その実態から教師集団の力も推し量ることができるでしょう。
 荒れた学校では、学級委員でも自覚を促すよう指導するだけで「なぜ俺だけ言われるんだ」とキレてしまうのでしょうが、学級委員に「朝の学年集会」を企画・運営してもらい、遅刻やエスケープ、飲食・喫煙などの報告や提言を行ってもらった後は、学級委員も問題行動の当事者たちも、ようやくそれが「他人事」ではないことに気付いていくはずです。いつも遅刻してくる生徒たちも、この場で何がどう議論されているのか知らないのは不安なようで、体裁のため?わざと少し遅れて集まった後は、話によく耳を傾けていました。
 女子のミニスカート指導でも、授業中の携帯いじりに対して、「教育の当事者」であろうとしない「優しい」教師たちは、冒頭の問いを直接会議の場で受けたとき、どう答えるつもりなのでしょう。
 子どもたちは「当事者」と「傍観者」を容易に見分け、「傍観者」のいる社会で欲望を満たしていきます。
 「いじめ」の「傍観者」も加害者と同様の扱いを受けるようにようやくなりつつありますが、教育の場全体にはその考え方がまだまだ広がっていかないようです。
 思えば社会にはあふれるほどの「傍観者」がおり、そういう人たちで構成される「居心地」のよい社会に、次々に同様の人間を送り込んでいるのが教育界なのでしょうか。
にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログへブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ

« 社会科教師の逆コンピテンシー その8 傍観者とマスコミ化した教師 | トップページ | 評価以前の指導の問題 »

教育」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック

« 社会科教師の逆コンピテンシー その8 傍観者とマスコミ化した教師 | トップページ | 評価以前の指導の問題 »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より