ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 社会科教師の教育の成果 | トップページ | 週刊東洋経済の「子ども格差」 »

社会科で育てる理性と感性

 「ニュートラルな立ち位置にあること」が自覚できることは教師のコンピテンシーの中で「自己統制力」に入るものかもしれません。
 人間は、ある固定観念に重心をかけると、それに都合のよい情報だけ目に入ってきたり、自分の都合に合うようにその情報を解釈してしまったりします。
 禅など宗教の教えをひくまでもなく、「見えなくなっている自分」への自覚を失うと、人は説得力も失い、いずれは無視か闘争を引き起こすことになります。
 ディベートは、そういう人間のいやらしさを真から実感するために非常に有効的な活動です。
 人間に対する評価、その政策にかかわる評価に対する主張は、ディベートのように賛成か反対か、白か黒か、イエスかノーか、ゴーかバックか、どちらかでないと意味がないような風潮は、単一の答えを求めるのが学習であるという勘違いによって、より強化されています。
 センター試験や私立大学の入試問題はほぼ100%この形式でしょう。
 話は変わりますが、ある俳優がインタビューで、「今、人々は頭が良くなりすぎている。頭で理解して行動する。しかし、心で感じるものをもっと大切にしてもよいのではないか。何を考えるかではなく、何を感じるかをもっと追究すべきではないか」という趣旨のことを述べていました。
 なるほどと思う一方で、感性こそ手に負えないものはないとも感じさせられます。
 社会科の歴史的分野では、多くの時間を「戦争」「争乱」「政治の失敗」にさくことになっていますが、今のカリキュラムでは、子どもたちに「何を感じさせていくのか」という問題への配慮は特にありません。
 それは、授業・教材レベルでの話=教師の力量の問題になってきます。
 「不当な支配への反抗・反発・嫌悪」を中核として授業を構成することもできますし、「権力と戦う人への愛情」を育てることもできるでしょう。
 しかし、「あなたには何ができるのか」を問わない社会科では、「(国際)社会の中で主体的に生きる資質や能力」は育ちません。
 戦略だけでなく、思考や情報の分野でも考えるべき課題になります。
にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログへブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ

« 社会科教師の教育の成果 | トップページ | 週刊東洋経済の「子ども格差」 »

教育」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 社会科で育てる理性と感性:

« 社会科教師の教育の成果 | トップページ | 週刊東洋経済の「子ども格差」 »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より