落とし物の「在庫」はなぜ増え続けるのか?
すずめ先生の記事に、「学校での落とし物の落とし主が現れない悩み」が紹介されていたので、私は以下のようなコメントさせていただきました。
「落とし物」の中には、単純な「置き忘れ」だけでなく、「誰かに勝手に持っていかれて、どこかに放置されていた(隠されていた)のが見つかったもの」もけっこうあるのではないでしょうか。単にだらしないだけの子どももいますが、誰かに取られた(=自分を傷つけようとした他人がいる)事実を認めたくないために、紛失した事実自体をなかったことにするつもりの子どももいるような気がします。しかし、眼鏡、時計といった値のはる品物の持ち主が見つからない私の学校は異常です。「傘」をはじめとした学校における「落とし物」心理学の専門家はどこかにいらっしゃるでしょうか。
後からじっくり考えても、理由がわかりません。
落とし物を保管したり、その情報を伝達するシステムがあり、明らかに困っている人がいるはずなのに、なかなか「在庫」が減らず、増えていく一方です。
ここで私は、現代の新たな「KEGARE思想」が広がりつつあるのではないかと考えました。
自分の持ち物が、いったん自分の手から離れ、しばらくそのままになる。しばらくして見つかっても、それが「自分の持ち物としての資格」を失っているため、以後、縁を切る・・・・。
もちろん「自分以外のだれかがさわったことがいやだ」などという低次元の問題ではない、過去の「ケガレ」思想とは異なる、新しいタイプの「KEGARE」認識です。
また新しいものを買えばいい、という感覚ももちろんあり、まだいくらでも使える鉛筆や消しゴムなども、「落とし物」ではなく「ゴミ」として捨てられてしまうケースもあるでしょうが、「ものを大切にしなくなった」という話とはちょっと次元が違う。ものに愛着を感じていない、というのもありますが、それとも違う。
「探す努力」も「いやしい行為」であり、「KEGARE」である。
「きれいに忘れ去ること」が「KEGARE」から逃れる最高の手段である。
おかしな状況です。
もしこの仮説に基づいて落とし物の「在庫」を減らす戦略を練るとすると、発想としては「KEGARE」を取り除くプロセスが必要になります。
たとえば、落とし物に、「名前」をつける。
日本語名でつけるなら、歴史的な人物。外国の偉人でもかまいません。
芸能人の持ち物だったことにして、「○○○の傘」「△△△の眼鏡」と呼んでもよい。
ときどき一覧表を掲示するなどして、「落とし物」への興味・関心を高める。
そうすると、「忘れ去れた存在」から、「忘れ去ることが困難な存在」になる。
ろくな案ではありませんね。
何かうまい解決方法を持っている学校というのはあるのでしょうか。
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