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結局、給与が下がるのが気になるの?

 まずろーさんから、以下の記事について、コメントをいただきました。ありがとうございます。
>教師は、能力とか成果とはほとんど関係なく給料がもらえる職業でしたから、「他の教師より劣っていると評価されること」に後ろめたさというか罪悪感のようなものを抱いてしまうので、「競争」という言葉には過剰反応を起こしやすい傾向があります。

 真理を突いたクリティカルな言葉に、他業種にも当てはまる職業はそういった傾向があるのに気づきます。
 人を育てる現場にあれば、もっとコンピテンシーを意識する感覚を持たねばならぬ業種であるのに残念なことです。
 戦国時代のコンピテンシーを重視した武将、武田信玄は城を持たず人を重んじたといいます。
 人は石垣、人こそ財と。
 きらびやかな見た目の財産よりも義や機動力を重んじ家臣こそ大きな財産と認識していたのですね。
 未熟な人間であることを認識している人は強いです。
 だからこそ向上があり競争心を忘れない。
 競争イコール悪という単純な図式は愚かです。

 「競争」に過剰反応する教師の共通した関心事(結局、自分事)に、人事考課による評価の結果が給与に反映されることへの危機感があります。
 このことについて、他のブログに私がコメントした内容があるので、ここで紹介しておきます。
 結局どんな評価基準にしろ、普通の教員の評価はBになるようにできていますはいじめを放置するとか、学習指導に課題があるとか、コミュニケーション能力が低いとか、だれの目から見てもおかしい人がです。は教員から見ても「辞めさせた方が子どものためではないか」というレベルです。(これ、もしかしたらEのランクか?記憶があいまいですみません)
 達成度のレベルが非常に高い(実現困難な)目標をクリアしないと、はなかなかつきません。
 たとえば、文書管理等の事務作業にかかっていた時間を30%以上削減し、そのうち20%以上を「短時間研修タイム(研究成果の5分間プレゼンなど)」に、10%を「生徒の個別面談時間」に振り分ける、とか、「学校行事や校内研修の企画運営をプロジェクトチーム型にし、企画・運営・評価・改善をスムーズに実行することで、『同僚性が高まった』という組織目標の回答率を30%以上UPさせる」とか、具体的な職務目標をたくさん設定してそれらをクリアするとAになります。

 たとえばの話ですが、担任をもたせることができない、授業で学力がつかない、行事運営を任せられない、欠席が多い・・・こんな40代の教師の手取り40万円の給与から、1万円を、新規採用3年目だが、すでに研究発表を2回こなし、崩壊した学級を任されて建て直し、部活動の指導では地区上位の成果を上げ、不登校生徒への家庭訪問や学習指導に尽くし、保護者からの信頼もあつい手取り20万の教師に振り分けてあげることは、大問題でしょうか?
 一般の公務員というのは能力の違いが昇進によって給与の差に反映されるのですが、教諭という立場の教育公務員は、たとえば上記の事例の2人の場合、給与の差は絶対に縮まらないのですね。
 競争原理が「金儲け主義」で理想が失われているという法律関係の仕事の方の嘆きのコメントが別のブログで紹介されていましたが、教育の世界とは完全に別次元の問題であることは明白ですね。
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教育」カテゴリの記事

コメント

私の拙いコメントをご紹介いただきありがとうございます。
最後に触れておられた

>競争原理が「金儲け主義」で理想が失われているという法律関係の仕事の方の嘆きのコメントが別のブログで紹介されていましたが、教育の世界とは完全に別次元の問題である

と述べられていましたが、教育の世界のみならず正当な報酬を受け取ることは理想に反するとする、氏のロジックには疑問を感じます。
そのせいで志をあきらめるというのも曲解による言い訳の香りさえ感じるのは穿っているのかもしれませんが、あまり潔い印象は感じられませんでした。
むしろ能力の違いがあるのに正当に評価されない報酬制度の方が、よほど不健全であり理想から離れると思われます。

「競争とはお金儲け競争、マネーゲームでもある」と定義づけられるのも相容れないズレを感じる言葉でした。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
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    「晏子」(第四巻)より
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    「沙中の回廊(下)」より
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    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
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    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より