社会科教師の逆コンピテンシー その11 歴史と愛情が結びつかない教師
第11回は、「戦略立案力(④戦略のB調整・統合力)」がテーマです。
現行の学習指導要領に改訂されたとき、社会科の目標の文言に「愛情」が入ったことに対して、一部の教師たちが強硬に反発しました(改訂は、教育課程審議会の答申における社会科の改善の基本方針に沿って行った仕事であり、突然湧いて出た言葉ではないのですが)。
小学校では、「我が国の国土と歴史に対する理解と愛情を育て」ること、中学校では、「我が国の国土と歴史に対する理解と愛情を深め」ることが目標の一部となっています。
このように部分だけ取り上げ、視野を狭くすると問題に感じる人も多くなるのでしょうが、国への愛情を育てたり深めたりすることは、それが究極目標ではなく、「公民的資質の基礎を養う」ために指導することの一つのであるわけです。
「公民」とは、「国際社会に生きる民主的、平和的な国家・社会の形成者」となる人間のことです。
「別に日本国民であることを意識させなくても、国際社会に生きる人間としての基礎は養えるのではないか」という批判も想定できますが、子どもの場合は、「日本の国家公務員はみんな外国人でもかまわないか」という議論をさせると、ようやく「国民」や「国益」、「主権」などという言葉の意味がわかってくるようです。
「国家」には国民を統治し義務を課す機関であるという捉え方と、国民の生命・安全と財産を守る機関という捉え方があるように、「国民」にも、国家への献身を義務づけられる人々という意味と、国家の主権を担う人々という意味があります。
社会科教師は、さまざまな教材を通してこの両面をバランスよく子どもに認識させ、単なる「社会」ではなく、「国家・社会」の形成者になる資質の基礎を養ってあげる必要があります。
しかし問題は、マスコミから流される情報が、商業的な理由もあって「義務(負担)を課せられている国民」「義務を課している国家」「責任をとるべき国家」という面を中心に情報を構成し、「義務を果たす(責任をもつ)べき国民」像を提供しようとしないことにあります。
社会科教師の中には、そのマスコミの仕事を増幅・強化させるような指導に終始する人もいるので、教育政策ではバランスを保つ意味でも、「義務を果たす(責任をもつ)べき国民」像に重点を置かせようとすることは理解できます。
ところが、結果としてはそれが逆効果になっており、ますます「反国家」指向の教育を導きやすくなっている。
たとえばそういう教師が最も力を入れる授業が、戦争の歴史でしょう。
国家と聞くとなぜかすぐに軍国主義を思い浮かべる教師がいます。
そういう世代の教師が間もなく現場からいなくなることに一部の人たちは危機感を抱いているようですが、そういうタイプの教師の授業を参観すると、子どもの反応は「またか」「またあの酷いビデオを見せられるのか」などと冷ややかなものです。
どういう感想を書けば教師が喜ぶかよくわかっているので、教師の「個性」に生徒全体が染まっていく不思議な空間ができあがります。
「ねらいが理解されていない」点など、危機感はもう少し別のところに持つべきなのですが。
戦略立案力の欠如は、行政レベルでもそうなのですが、教師としてもよく考えていきたいところです。
「戦争を忌避する」ことと「平和を愛する」ことはイコールのようで、子どもの感じ方のニュアンスは異なってきますし、それを達成するためのレベルが違いすぎます。
しかし、「我が国の歴史」に「愛情」という言葉がつながってこない世代の教師にはなかなか指導の改善を促すことが難しい。
こういう例を挙げるとすぐに「あの教科書を支持しているのか」と言われそうですが、あくまでも「多面的・多角的に考察」するという目標をふまえての考えです。
中国における日本軍の虐殺行為を取り上げる一方で、ソ連軍による中国東北部などでの「火事場泥棒的」侵略・虐殺行為を取り上げることは、戦争というものの実態をより鮮やかに示す指導なのでしょうが、「戦勝国」の「戦争犯罪」にふれない教師も多い。
免許更新の試験でこんな時代の歴史観を問う問題などは出題されないでしょうが、もし口頭試問でそんな問題が出されたら、試験官と教員の間でどんなバトルが始まるか目に浮かぶようです。
【試験問題】 現行の学習指導要領では、第二次世界大戦を扱うときに、何を理解させることを目標としているか、述べなさい。
« 社会科教師の逆コンピテンシー その10 登頂ルートが見つけられない教師 | トップページ | 社会科教師の教育の成果 »
「教育」カテゴリの記事
- 教員になりたての人がすぐ辞める理由(2019.01.12)
- 教育は「願ったもの勝ち」「言ったもの勝ち」ではない(2019.01.08)
- 「一人も見捨てない」は罪な要求である(2019.01.04)
- 列で並ぶこと自体が好きな?日本人(2019.01.01)
「社会科」カテゴリの記事
- 止まらないビールの需要減(2018.12.30)
- 皇族への言論弾圧(2018.11.30)
- ありえない課題設定・・・EUが1つの国?(2018.11.24)
- 1000人当たりの暴力行為発生件数ワースト5は(2018.10.29)
- 創造性を奪うポートフォリオ評価(2018.06.05)
「社会科教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事
- ありえない課題設定・・・EUが1つの国?(2018.11.24)
- 歴史用語半減による「ゆとり」が生むもの(2017.11.19)
- アメリカの反知性主義を輸入した人たち(2017.06.28)
- 選挙が違憲だと,国民審査が機能しなくなる?(2017.06.01)
- 「アカデミアの世界」からこのブログへ投げかけられた言葉とは?(2017.05.29)
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
« 社会科教師の逆コンピテンシー その10 登頂ルートが見つけられない教師 | トップページ | 社会科教師の教育の成果 »
日本は競争社会の中で、勝ち上がるために弱者切り捨ての価値観を身につけていき、結果「人のため」という価値観がすごく下がっていますよね。人のために行動する気持ちが育てば、自然に、まわりの人のため、地域のため、国のため、という気持ちも育つと思います。いきなり「愛国心」とかって言い始めるから抵抗があるだけで。
だって、官僚、政治家を見ても、愛国心があるように思えないもの。自分たちの保身ばかり考えて。そんな人達に「愛国心」と言われるから、反発が起きるだけだと思いました。
投稿: なっつ | 2008/05/10 09:48