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社会科教師の逆コンピテンシー その3 研究授業

 第3回は、「自己変革力(①自己のC創造力)」不足による問題です。
 ごくまれに、優れた教師に教育を受けたおかげで、初任者として教壇に立ってすぐに優れた授業ができる人もいるでしょうが、多くの教師は経験を重ねるとともに成長していきます(成長していくはずです)。
 ただ、校務には慣れていっても、「新採のころの方が指導案を書いていただけ、まだましだった」・・・などという教師がいます。そもそも免許更新制の導入は、こういう教師をなくすことが主眼であると映ることでしょう。
 中学校の場合は、過去に自分が実施した研究授業の回数を経験年数で割り算したとき、1に満たない教師が多いことでしょう。
 その研究授業というのも、実質「お疲れ様でした」という感想しかでない「持ち回りの不幸の時間」であっては何の意味もありません。
 「研修のための研修」「研究のための研究」ではなく、「子どものために指導力を向上させる研修・研究」であるべきことは言うまでもありません。
 半端な自信をもっていて、研究授業に臨もうとしない社会科教師の多くは、生徒ではなく教師(自分自身)の「学習発表会」をし、生徒を聞き役にしているだけです。
 どういう課題をもっているにせよ、それを克服しようとしない姿勢が忌むべき逆コンピテンシーです。
 また、「自己変革力」は教師だけでなく、子どもにも求めていくべきコンピテンシーでしょう。その力を促すための「魔法の言葉」を駆使できるのが理想の教師像として想定できます。
試験問題】 あなたが教師をしていて、「この言葉かけが生徒を変えた!」と自信をもって言えるものをいくつか挙げ、その言葉によってどのように生徒が変わったのか、またそれはなぜか、述べなさい。
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コメント

わざわざお返事ありがとうございます。


そういう事ですか。ただ、その疑問を感じた同じ実習生が教採通ったと言うのを思い出したのでコメントさせていただきました。


勉強になりました。ありがとうございます。

コメントありがとうございました。
教育実習生を指導する大学・現場の教師の指導力は、何で測定できると思われますか。
まず、その指導者の指導力が問われますよね。
よい指導者につかないと、指導力は向上しません。
指導力がない場合、ほめて伸ばそうとすることが最低限の「指導」になります。
教員を採用する立場で言えば、教育実習のときの評価はほとんど信用していません。

初めまして。


教師志望の者です。教育実習の際では「学習発表会」と言う名の研究授業を多く見ました。疑問を感じていたのですが、多くの先生方は絶賛及び、お疲れ様ですと言う感じでした。


そのような部分がもっと改善して欲しいと思いコメントさせていただきました。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より