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評価以前の指導の問題

 評定の問題に関する批判記事を読んでいると、新聞記者もそれを批判している人も目標に準拠した評価のことが十分に理解できていないことがわかります。
 問題は、目標に準拠した評価をする以前に、目標そのものが理解されていないことと、その当然の結果として目標に準拠した指導が行われていないことなのですが、新聞記者が仮に教員免許を持っていても、そのことを理解している指導者に批判された経験がなければわからないことでしょう。
 中学校社会科で言えば、「多面的・多角的に考察」というのが教科の目標にあるわけですが、たとえば歴史の授業で、「源頼朝が鎌倉に幕府を開いた理由は何か」を考察させるときに、「防衛上の利点」だけを見て十分満足とするような指導の実態があります。それは軍事面から見た理由であって、「防ぎやすい地形の場所は他にいくらでもあるではないか」という問題に対応する準備ができていない教師もいます。子どもからそのような疑問を引き出すのが教師の仕事であって、これに限らずいかに一面的な社会の見方で授業で展開しているかは「テスト問題が簡単に予想できるかどうか」で容易に判断できます。
 評定に関する根本的な原因はいわゆる新学力観で登場した4つ(国語は5つ)の観点別の評価で、明らかに誤った評価方法が延々と続けられているところに、それらを合成して評定を出すという二重の失敗を重ねていることです。
 入学選抜はその影響をもろに受けているわけです。しかし、入試は評定の出し方が正しいという前提で初めて成立するものなので、学校側から「今までのは間違っていました」ということはできないのです。入試はやり直しがききません評価が正しかったことにしておかないといけない。「成績一覧表調査」などは、中学校側のインチキ防止と、一定の公平性の担保に実施しており、特異な学校が600分の1とか2という数字で見つかりますが全体としてやはり評価が甘いことは、入試得点で容易に想像できます。
 マスコミがこの問題に切り込もうとしたら、学校の評定とたとえば学力調査の間にいかに相関が成り立たないかとか、入試得点と評定との相関が弱いことを分析して証明すればよいのです。
 気をつけなければならないのは、入試問題が問うている学力が、4観点のうちの知識・理解に極端に偏っているということです。学校側は逆にそのことで逃げることもできます。
 ペーパーでは観点別で言うと非常に偏った学力しか見られない分、評定も換算して入試得点に合計するのが一般的ですが、上位校が評定点の割合を低くする傾向は、いかに評定があてにならないものかを物語っているわけです。
 評定の出し方、評価の方法の見直しは、「今までの苦労は何だったんだ」という現場の反発を買いますが、「改善されるなら歓迎する」と後には評価されることになるでしょう。
 今の教師たちが行っている評価は、指導が十分に満足できるものでない分、余計にたいへんなのです。
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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
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    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より