ガラクタオブジェ館さん、以下のコメントありがとうございました。
私も校長教頭なんてなんなんだろうと思ってます、確かにいい校長がいるところは教師も父兄もなんとなくまとまってるという感じがします、そもそも学校の先生というのは30人40人の子供を仕切らなければならない、リーダーシップがなければならないと思います、それが採用試験だけで教師になってるから崩壊してるのだと思ってます、有能な教師を見極めるのは論文を書かせれば解かると思いますね、教師としての意気込みがない奴は論文などかけないと思いますよ
私は教員の立場、指導主事の立場、教育長の代理の立場、保護者の立場、PTAの立場などでさまざまな校長先生と接してきましたが、ほとんどのケースで実感できたのが、どの校長も「いい先生がほしい」「困った先生は出ていってほしい」と強く願っているということです。
おそらく、生徒・保護者や行政マンより、校長にとってのそういう思いの切実さは大きいものだと思います。
ただ、ニュアンスとして、「都合のいい先生」「気だてのいい先生」「子ども思いのいい先生」「指導力がある先生」「問題をおこさない先生」「休まない先生」「産休をとりそうにない先生」など、さまざまな意味合いがあるにはありますが・・・。
残念ながら、採用担当者泣かせの教師もいます。
面接や論文では文句なしのように見えても、実際に子どもを前に授業をさせると・・・・・。
面接や論文というのは訓練次第で上達が可能(論題はいくつも想定が可能ですからうまい人に書いてもらって暗記しておけばよい)ですが、授業力やコミュニケーション能力といったもは、やはり適性、資質の問題が大きい。
ですから初任者1年間の「条件付き採用」で、本来は採用すべきでない教師の多くがパスしてしまっているという現実はあるでしょう。
校長の1年目というのは、たいてい力が入っていますからがんばってくれますが、成果が出ないことが2年、3年続くと、どうしても教師集団のせいにしたくなる。それで嘆き節が多くなる。
中には、藤原元校長のように、「自分でやってしまう」タイプの校長もいるかもしれませんが、それではいつまでたっても教師が育たないので、リーダーシップがある校長とは言えません。
学校という組織に「ホームランバッター」は必要ではないのに、校長がどうしてそういう人材をほしがるかというと、教員というのがそもそも言われたことを素直にやってきて育ってきた経緯があるので、仕事上かなりの裁量がある教育の仕事に就いた場合、具体的な指示を受けて行動している若いうちはいいのですが、自分が指示を出す側になると、とまどうタイプが多い。だまっていると、みんな見送り三振。送りバントのサインしか出せない。
以心伝心の教員集団など夢のようなものなので、現状では危なくてスクイズやヒットエンドランのサインは出せません。
また、校長や教育委員会という「権力」を嫌うタイプの人は、自分に「権力」のにおいがただようのを防ぐために、批判のリーダーにはなっても、実践のリーダーにはなかなかなろうとしない。こんな人ばかりが学校にいると、校長は息苦しくて仕方がありません。
中には、他校の教師たちが勉強のために集まってくるような校長もいます。
「どうしてその学校の先生は勉強に参加しないの?」というプレッシャーをかけるのに最適ですが、ただこういうタイプの校長は非常に少なく、多くの教員にとっては「だれでも大差ないだろう」と思えてしまう。
校長と教員がわかりあう、スクイズが出せる関係になるにはどうしたらいいか。
大トラブルを首尾よく解決に導くと、校長の信頼度は上がりますが、そういうイレギュラーなケースでなくて、普通の小トラブルが頻発する普通の学校で、何か手はないのか・・・。
私もずっと考えてきていますが、結局は、学校を動かす原動力は校長ではなく各主任です。主幹も大事ですが、普通の規模の中学校なら、学年主任が重要です。主任に気持ちよく仕事をさせられる校長が、よい校長であるというのが結論でしょうか・・・。


最近のコメント