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「子どもは公立に預けるな!」その3

 公立をひとくくりにすると、どんどん新設されている中高一貫校はどうか。
 以前にふれたとおり、公立の中高一貫校は「ゆとり教育」の充実とセットで設置が構想されたものですから、和田秀樹の主張にしたがうと「薦められない」学校に含まれることになります。
 TVで放映されたインタビューでも、「進学のため」というよりは、「高校のときに受験がなくてすむから選んだ」という子どもの素直な動機が報道されていました。
 こういう学校の場合、塾に通い、高校段階で進学実績のより私立高校に受験したくなる生徒が出てくるかもしれません。それについてはここでは触れませんが、学校側にとっては定員管理の難しい問題です。
 著書で和田秀樹は、「進学実績のデータがないから態度は保留」としています。
 国立はどうか。
 国立の中には地方だと附属高校がなかったり、都内だと小学校から上がってくる生徒が多くて定員が少ないために難関だったり、小学校からは学力が高くない生徒が多く進学するので大学進学実績はたいしてよくないなどの理由があって、和田の理念から言うと薦められなくなるようです。
 なぜ「学歴」が必要になるかについて和田は、前回紹介したように、「これから学歴社会になること」「より厳しい競争社会になること」が根拠のようです。
 和田は教員批判をしていませんが、「競争原理の排除」を訴える教師がいる公立学校には絶望しています。
 子どもにどこまで「競争力」を求めるか。議論が必要なところです。
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より