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『学校の絞め殺し学』第1回~「安易な差別化」学校編~

 弘中勝著『会社の絞め殺し学~ダメな組織を救う本~』(祥伝社黄金文庫)には,こんな話が紹介されています。
 「国を治める者は田を伐るがごとし」・・・国家の経営は田んぼの雑草をコツコツと取り除くようにすべきだという意味。つまり,何か薬を投入したり無理な拡大をしたりするのではなく,成長に害のあるものだけを取り除いていって,あとは自然に実るに任せる。
 企業で言えば,経営が苦しいときに必要なものは,画期的な新規事業や革新的な手法の投入ではなく,その悪い原因をひとつひとつ取っていくこと。(要約)
 これを学校にあてはめれば,生徒自身や家庭に由来する悪い原因はさておき,教員の側,管理職の側にあるどのような原因をどれだけ取り除くことができるかが課題です。
 日本の学校の場合は,教育の素人が権限をもっている教育委員会という根っこの原因が取り除きにくい問題がありますが,まずは一人一人の教師と一つ一つの学校が自分と子どもの首を絞め上げている縄を除去していく必要があります。
 著書では,16項目にわたって「~ような人間は,やがて会社をじわじわと絞め殺す」というように失敗(病気)の原因と,その症状につける薬(治療法)が紹介されています。
 この内容は,教育における逆コンピテンシーと重なる点が非常に多いので,検討させていただくことにしました。PRマーケティングを指導される著者の現場のお話も興味深いのですが,当ブログでは教育現場・教師の話に置き換えて考えたいと思います。

 第1回は,安易に差別化に逃げようとする問題の,学校編です。
 教育の失敗の典型は,「特色ある学校づくり」への注力です。
長年の努力の結果,特色が出たのであれば,それをありのままPRすればよいのですが,
「特色」を追い求めているうちに,「基本がなっていないのが特色」という学校になってしまいます。
 いい学校は,「特色などと語る必要がないのが特色」と開き直って,生徒はどんどん集まります。
 差別化によって現状を打開しようとする学校は,「一時的な達成感」が得られるだけの意味のない苦労を重ねているにすぎません。
 研究授業の研究協議のあり方を見れば,学校のレベルがわかります。授業者に対して遠慮して,仲間内でほめ合っているような研究授業は,「一時的な達成感」のための時間で,中長期的には何ら生徒のためにはならないでしょう。積極的な批評・議論があって,授業の問題,生徒の学習実態の課題が浮き彫りにされて,はじめて研究の対象となる授業となります。講師はさすがに批判ばかりできませんが,お世辞だけでなく,荒れた場を戻し,議論を整理して,授業者への適切な助言を行うのが仕事です。
 「逃げの差別化」に逃げないことこそが最良の差別化になるということです。
 最悪の失敗は,「新しい特色をつくるため」「新しい学校づくりのため」,個性が大事だといって,問題行動をよくおこす生徒が髪を染めるようなことに着手し,昔ながらの良さを犠牲にし,手間隙かけて地道に指導する姿勢を失い,結果,「一時的な達成感」だけで大局的には損失を拡大するようなケースです。教育委員会に3月に届出される教育課程は,学校の次年度のプランですが,とってつけたような「特色ある学校づくり」の項目を読んでは,その戦略を確認したものです。願望や掛け声だけで終わる方が,まだましという場合もあります。
 「逃げの差別化」に逃げない差別化の方法は何でしょうか。その答えを,多くの失敗から検討してみたいと思います。
 次回は,差別化で逃げようとする教師の問題です。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
  • 目くばりをするということは、実際にそこに目を遏(とど)めなければならぬ。目には呪力がある。防禦の念力をこめてみた壁は破られにくく、武器もまた損壊しにくい。人にはふしぎな力がある。古代の人はそれをよく知っていた。が、現代人はそれを忘れている。
    「楽毅」第1巻より
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    「楽毅」第四巻より
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    「歴史の活力」より
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    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
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  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
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    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より