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2007年6月

なぜ教師はつまらなそうに授業をするのか

 週末に学校公開があったので、いろいろな評判の教師たちを観察することにしました。
 学級崩壊を起こして保護者が入れ替わりで授業に参加している教師は、まず、教えることが楽しくなさそうなんですね。また、全然子どもを見ていないし、言葉のキャッチボールもない。
 素人目には指導力不足に見えないかもしれないその教師に決定的に欠けているのはプレゼン能力。
 他の教師の授業を受けないからまだがまんできるかもしれない小学生ですが、算数の少人数クラスでは、他の教師も負けず劣らず言語能力が乏しい。管理職も不満を生まない人員配置をよく考えているものです。みんな同程度に能力が低ければ、子どもにはわかりません。一番印象的だったのは、不安そうな保護者たちの顔でした。
 学年主任の教師のクラスでは、まず基本的な学習スタイルが他のクラスと異なっています。詳細は述べませんが、ノウハウが学年内でも伝達されていない。これでは学力差がつくのは明らかなだろなという実践力の違いです。・・・それでも小学校のカリキュラムというのは、できる子からするとあまりにも内容が少なく進度が遅い。塾・通信教育産業がもうけられる仕組みが整えられているわけです。小学校で学力差がつくのはよほどのことです。
 先日、ある大学院の学生から初任者研修のうち、校内研修の現状と課題について聞き取り調査を受けました。私の経験は行政のいわゆるセンター研修の実施者の立場だったので、自分が受けた校内研修、望ましい研修のあり方という点で説明しましたが、研修は初任者研修が終わったら終わりというものではもちろんなく、正式採用を決定するためのものなので、一番重要なのはPDCAサイクルの自己管理ができるようになること、これに尽きます。
 現状の課題は何か、研究成果をどう実践に生かせばよいのか、計画を立て、実行する。そして新たに課題になったことは何か。なぜ計画がうまくいかないのか。どこを修正すればよいのか。・・・この繰り返しができるようになることが、初任者の最大の課題です。
 自治体によっては、2年目研修、3年目研修なども用意していますが、悉皆研修は10年経験者研修です。
 この研修項目の中に、次の世代をどう育成するか、これを入れるべきです。
 普通、10年経験者研修では、自分より実力や経験のある教師や指導主事、管理職、専門の講師から指導を受けますが、校内の2,3年目の教師を一人前にすることをノルマに入れてほしいと思います。2、3年目と10年目では、どんな教師でもそれなりに成長しているはずです。その成長を実感できるメリットもあります。
 繰り返しになりますが、教科担任制の中学校と比べて、同じ内容を異なる力量と精度と熱意で実施されてしまう学級担任制の小学校では、保護者たちの不公平感はつのりますね。

「本当に頭の良い子」が持つ6つの特性と教師のコンピテンシー

1 言語能力
2 独創性
3 分析能力
4 忍耐力
5 大志
6 好奇心

 これらは、「本当に頭の良い子」が持つ、6つの特性(コンピテンシーといっていいでしょう)ですが、「学校教育で身に付けることができない」特性であると紹介している学者がいるようです。
 家庭でもしっかりとした教育を、という主張なのでしょうが、学校でこれらが難しいのは、言うまでもなく影響力を与えてくれる教師が少ないからでしょう。
 言語能力に乏しい教師というのはさすがにいないでしょうが、話術や板書、資料の扱いなどを含めると、子どもの目にも明らかな格差が生じています。不満が我慢できない小学生にとっては、やはり教科担任制よりも一人に背負わせた方がよいというのを実感したことがあります。中学生でも同じクラスで崩壊する授業と何とかもつ授業が明確に分かれるのは、完全に教科担任の指導力によるものです。
 独創性は、下手に求めると「そんな内容は受験に出ないからちゃんと教科書をやってくれ」という苦情を生むもとになりますが、きっとそういう授業をがまんして?受けた生徒たちが各界で独創性を発揮して成功しているのではないでしょうか?マニュアル本だよりでかつそれでもいっぱいいっぱいの教師では教わる方が気の毒です。
 分析能力は、授業だけでなく、生徒指導、部活動の監督としての采配など、多くの場面で求められてはいますが、「本当の司令塔になれる教師」はごく一部でしょう。その一部の教師に接してこれたかそうでないか。それが教師としての成功を生むか生まないかの境目でしょうか。少なくとも、自分の指導力のコンピテンシー、逆コンピテンシーの分析はできてほしいですね。
 忍耐力は、特に生活指導で試される力でしょう。忍耐力のかけらもない子どもを前に我慢するのは苦行に他なりませんが、苦行から逃げない教師に生徒は最後はついていく。そんな経験は多くの教師がしているのではないでしょうか。
 「大志をいだけなどとおまえに言われたくない」と思われてしまう教師は多いでしょうが、子どもを大きく成長させるという志の大きい人間、「教志」の大きい教師に出会えた子どもは幸せでしょう。
 この子には、こういう投げかけをするとどう反応するのだろう・・・指導案を検討する段階で、教師に求められる重要な要素がこんな好奇心でしょうか。
 6つの特性を授業で身に付けさせるという好奇心をもつのは無駄なことでしょうか・・・・。

教師の10の危険信号 子どもと同じ逆コンピテンシー

1 テレビ番組などの受身の娯楽以外には、興味がない
2 学校での職務に、ストレスを感じている
3 どんな内容であっても、研修をして報告書を出すのが大嫌い
4 失敗を恐れ、リスクを取ることができない
5 行動パターンを変えない
6 自分の考えを言葉で表現できない
7 大志に欠ける
8 簡単にあきらめる、すぐに投げ出す
9 自分のアタマで考えることができない
10 質問ができない

 以上の項目は、「ユダヤ人が語った親バカ教育のレシピ」(アンドリュー・J・サター著、インデックスコミュニケーションズ)で紹介された「子どもが発する危険信号」に少しだけ手を加えたものです。
 教師を育成する立場(10年以上の経験がある教師)になった人が、どういうことをしているか、どういうことをしてくれたか、考えてみました。
 自分は・・・
1 草野球は欠かせない。今は子どもの学校のPTAのボランティア活動。
2 授業は楽しい。ストレス発散の最高の場所。
3 宿題を出してくれる人はいないが、報告書はノルマとして作成。
4 授業は失敗の連続。オリジナリティを求めすぎているせいか・・・。これは要反省。
5 変えないと楽しくない。
6 表現する場もたくさんある。
7 目標はある。大志と言えるかどうかはわからないが。
8 投げ出すものは投げ出すが、よりよい策にすぐ移っている。
9 人の意見を聞かないという問題がある。
10 子どもにいつもしている。
 教師としての自分を育ててくれた教師は・・・
1 自校のPTAのボランティア活動は半ば強制でした・・・が、これがあるから地域で過ごしてこれた。
2 問題行動の子どもや親へのストレスは強大だが、それをはるかに上回る充実した時間を多くの生徒と過ごさせてくれた。
3 期待をかけてくれた人は裏切れない。
4 自分でやれば100%できることを、よくできて70%程度の若手の自分に任せてくれた。
5 毅然とした姿勢など、変えないところは変えないが、ほめる場面では程度に応じて態度を変える。
 「最も厳しくて最も優しい先生」と呼ばれる所以はここに。
6 常に議論していた。
7 上をめざす人をけなさない人が多かった。
8 投げ出すとどうなるかをよく観察することができた。
9 裁量権を大幅に認めてくれた。あなたのクラスだけ・・・と苦情をいわれる環境ではなかった。
10 聞かないことが恥と生徒にも言っていた。
 身近な教師をながめてみると・・・・どうでしょう。

日本人の劣化を促す教育 その6 気の遠くなる教育

 カウンセラーというのは教育者なのでしょうか、医者なのでしょうか。
 学校に入っているのに、別世界の人間のように交流がないカウンセラーはいませんか。
 子どもの話を(子どもとの約束通り)教師に伝えない人はいないでしょうか。
 甘えと精神的な病との区別はどうやったらつくのでしょう。
 最近は、「しつけ」すら受け付けられない弱い子どもが増えてきました。
 相談に来る小中学生に関して、 「こうなるのに10年以上かかっています。あとせめて10年、見守ってあげましょう。」とアドバイスされたことはありませんか。
 「つらいことに全く耐えられなくなっている中学生」「待つことができない中学生」「自分が優先的に扱われなければ気が済まない中学生」は、あるいは完全に親を映す鏡の像かもしれません。この連鎖を絶てるのは学校教育しかないのですが、「待たされること」の多かった私は無念の思いが累積しています。
 カウンセラーは契約が切れれば去ってしまいます。たとえば相談者が自殺をしないだけでも、カウンセラーの存在意義はあったのかもしれませんが・・・。
 「ビジネスチャンスの拡大はどんな職業の者にも欠かせない・・・」そんな話を聞いたことがありますが、やはり自分の反省すべきこととして、3年で勝負しようなんて考えは甘いのであって、せめて過去6年間の情報を集め、卒業させてから3年間のための情報提供を行うべきですね。・・・しかし、そういう文書のやりとりは想定にありません。
 生活指導の一貫教育のあり方は、どう考えたらよいのでしょうか。
 

日本人の劣化を促す教育 その5 子どもが視野に入っていない言葉

 私の造語の「私共空間」とは、公共空間の中での望ましくないものを示しますから、オープンな世界で発生しているものです。ネットで公開されているブログなどでも、この空間が見え隠れしています。
 教師による教育関係のブログに興味を示す小中学生はほとんどいないかもしれませんが、中には、「これを子どもに聞かせてはいけない」「こんな本音を子どもの前で言うべきではない」ものが散見されます。
 部活動の指導に不満をもっている教師が「これはボランティアだ。私の本来の業務ではない。ただで教えてやってるんだぞ」とコメントしたり、労働時間が長いことについて、自分の権利意識を強硬に主張したり・・・。
 問題行動をおこした生徒とその保護者と面談をすると、そんな会話が次々に出てきてしまいます。保護者に対して「あなたの育児の結果がこれです」とは言えませんが、そもそもそのことに保護者が気づけないために、問題の解決へのハードルが高く、多くなりすぎているという印象があります。
 「あなたへの教育は失敗でした」とコメントした文部科学大臣がいたように、大人の世界では「これを聞いたら子どもはどう思うか」ということへの配慮がなくなってきているのではないでしょうか。そのことが、子どものいじめを助長させている、なんて可能性はないでしょうか。
 医師が、「めんどうな患者だな、アンラッキーだ」などと患者に面と向かって言うことはしないでしょうが、教師はそのような態度を露骨に示してしまうことはないでしょうか。
 逆コンピテンシー以前の問題ですが。

日本人の劣化を促す教育 その4 コンテンツの劣化

 「すぐにできて結果が目に見える」タイプのゲームソフトが増えている。香山リカは、日本人の劣化が、希望の星であったコンテンツ産業にも及んでいると危惧しています。
 教育界では、言うまでもなく「百マス計算」ブームがその走りでした。
 全校一斉の計算練習を教育の目玉として自慢している学校が出てくるのには参りました。
 子どもに罪はありません。
 子どもは「百マス計算」を求めていたのでしょうか。
 その時間、もっと楽しい授業はできないのでしょうか。
 子どもにとって「楽しい授業」とは何でしょうか。子どもに必要な授業とは何でしょうか。
 特に小学校と教師と中学校の教師では、「おもしろい授業づくり」「楽しい授業」の発想が違うため、教育に一貫性を築くことが難しいことは以前も述べました。
 小学校の教師は、視聴率をかせぐマスコミのような授業づくりを求めている節があります。結果、「楽しかったけど何も後に残らない」ゲームを終えた後のような状況が次々に子どもに生まれます。
 目の前の具体的な問題から考えさせるような授業が教育現場から姿を消せば、日本人の劣化には拍車がかかるでしょう。自分の利益より他のことを優先するような発想は、いやなことですが、次の患者が待っているのにいつまでも医者に話を聞いてもらおうとする人間を増やすわけにはいきません。敵対する人間の心情になることは、いやなことかもしれませんが、いじめをけんかと言い張る人間を野放しにするわけにはいきません。
 ロールプレイイングゲームの未来はないのでしょうか。

日本人の劣化を促す教育 その3 うつ病がうつ病を呼ぶ学校現場

 最近、自分に都合の悪い場面でだけうつ病になるケースが増えているようです。
 うつ病まではいかなくても、ちょっとした注意だけでくじける子どもが最近は多く、予備軍豊富な病気かもしれません。
 兵庫県の高校教諭が、3年間ほとんど出勤していないのに、その間の給料を全額受け取っていたというニュースが報道された記憶があります。この教諭は、転地療養として、ニューカレドニアに旅行に行っていたそうですね。
 学校には来れないが、遊びには行けるうつ病の教師のために、「病気を理解してあげなければ」という気持ちと「遊んで給料ももらっている同僚の仕事を自分が肩代わりしているのは理解不能だ」という気持ちの葛藤でうつ病になるケースもあるそうですね・・・。
 古いタイプのうつ病患者が、「自分の責任」と思いこむのに対し、新しい場面選択型のうつ病の人は、病気の原因を「学校のせい」「生徒のせい」「親のせい」にするそうです。「私のような不幸な人間はいない」と思いこむのも後者のタイプでしょう。
 香山リカ著「なぜ日本人は劣化したか」講談社現代新書の第二章「モラルの劣化」では、「私共空間」の事例がこれでもかと紹介されています。単なるモラルの低下だけでなく、他人の立場をいっさい考えない人間の増加はおそろしい未来を予感させてくれます・・・。

日本人の劣化を促す教育 その2 メランコリー親和型性格

 「秩序への志向性が強く自己への要求水準が高い。仕事の上では几帳面、勤勉、責任感が強く、対人関係では他人に気を使い、他者のために存在し、道徳面では良心的である」・・・これは、かつては多くの日本人にあてはまった特徴だったかもしれません。
 実はこの特徴というのは、日本人の性格のことではなく、ドイツの精神病理学者のテレンバッハが「うつ病になりやすい性格」として類型化したものだそうです。(香山リカ著「なぜ日本人は劣化したか」講談社現代新書)
 次に、ネット掲示板で投票された「日本人特有の特徴」と、教師のあり方を比較してみることにします。
1.横並び意識が強く協調性を重んじる。「出る杭は打たれる」という言葉が非常に悪い意味で用いられる。・・・管理職試験の勉強を職員室でできる教員はあまりいないのではないでしょうか。(小学校は教室で授業中にできるようですが)横並び意識が強いのに、給与は年功序列・・・・。
2.自己主張が苦手。逆に言うと『おくゆかしい』。・・・職員会議では、「自己主張」をする人は少なく、「組合主張」をする人が多いですね。組合主張なら、「出る杭」にはなりません。
3.なんでも小さくキレイに仕上げるのが得意。・・・研究発表会、研究推進校など、大きなことはやりたがりません。
4.仕事が丁寧。・・・授業は、その人なりに「丁寧」。授業以外の仕事も丁寧にやりすぎるので、時間がなくなる。
5.時間厳守!・・・生徒にはそう要求しています。
6.『なあなあ』が許される。・・・教員間でそういう空気があるのが生徒に伝わると、学校は荒れます。
7.常識では悪いとわかっていても、会社や組織のためなら・・・・世界史未履修問題、TT加配の不正利用、時数カウントのごまかし・・・・。
 メランコリー親和型の性格の人は、秩序が崩れたり環境が変わった場合にうつ病になりやすいそうです。
 「バレさえしなければ多少の手抜き、ごまかしもかまわない」姿勢が、病気の予防にはいいのでしょうか。
 確かに、「私共空間」の人間というのは、長生きしそうです。

日本人の劣化を促す教育 その1 活字量

 しばらくの間、香山リカ著「なぜ日本人は劣化したか」(講談社現代新書)から題材を頂戴して、日本人の劣化を促す教育の問題について述べてみることにします。
 「活字の劣化」という章に、雑誌の原稿は結論部分だけが強調されたものが大事で、背景とか理由はどうでもよく、どうすればいいのかだけを読者は知りたがる・・・ひと息に読める字数は200字(昔は800字?)・・・などと書かれていましたが、教育の世界でも、このような現象は現行の学習指導要領では問題になっています。
 たとえば歴史教科書の文章の短さ。これは異常です。全然ストーリーになっていません。
 内容を精選(厳選)すると、教師や子どもは、「これを覚えておけばよい。ここだけ読めばよい。これはこう解けばよい。」などと勘違いしてしまいます。
 これを「劣化」の原因と考えていけるのか、そもそも「劣化」はおこっているのか、そういうことを考えていこうと思います。・・・しかし、このような教え方でご飯が食べられる業界というのは、本当に楽なものですね。
 授業の質は、教師の発問ではなく、授業中に生徒が表現した内容をすべて集めて評価する方法があります。結論だけを答えさせる教師の授業では、生徒の発表・発言の大部分が単語。その言葉が生徒の口から出されることだけで満足している教師は大勢見かけます。
 50分の授業の準備のために、教師は何文字くらいの活字に目を通しているのでしょうか。
 50分の授業で、生徒は平均何文字読み、何文字書いているのでしょうか。
 

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より