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私共空間の見本市があった、教材の宝庫としての水俣

 私が教育という仕事につく上での原点が、水俣にあります。

 4月30日発行の日経ビジネスで、「ドキュメント 水俣発地球再生 ~環境先進都市が生まれた~」という特集がありました。

 大学時代、教育実習で公害問題を扱うことになり、教材化するために2度にわたって水俣をフィールドワークし、聞き取り調査を行いました。当時お世話になった財団法人水俣病センター相思社の「ごんずい」購読も17年目になり、この機関誌は7月25日号で100号になります。

 「水俣の水俣病」ではなく、「水俣病の水俣」と言われるように、教科書で中学生が学習するこの地名・病名は、現在の住民にとっても非常に複雑な影を落としていると同時に、過去の「負債」やマイナスイメージを、プラス思考で「資産」・変革力に転換するエネルギーを蓄えているまちでもあります。

 患者と企業という単純な図式でなく、患者と住民、行政、医師、研究者、政府、裁判所の関係を解いていった授業を思い返すうちに、現在私が使っている概念の「私共空間」の見本市のようなものだということに気づきました。

 水俣病を「高度成長の裏面」と表現している記者が気になりますが、チッソ社長のインタビューも掲載されているのは評価できますし、昔、自分自身が取材できなかった後ろめたさもようやく解消された気になりました。

 水俣は、社会科教育、環境教育、道徳教育、人権教育・・・さまざまな教育の教材の宝庫です。

 水俣をどのように教材化するか・・・どの教科が専門であるかにかかわらず、教師の資質を図るのに最適な題材かもしれません。「私共空間」の分厚い壁を崩す理論を構築するため・・・今後も追究し続けていきたいと思います。
 

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より