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私共空間が「評価」を嫌う論理

 「公共哲学」では、日本人にとって「公」(本来は公共という意味で使いたいが、日本人はこれを国家や政府と同一視しがちである)と「私」を断絶したものと捉え、両極端にしか受け止められない感性・・・代表的な例は、「滅私奉公」と完全にその逆の「滅公奉私」しかないと思ってしまう構造を打開することを目標にしているようです。

 そこで、「公共哲学」では「活私開公」と造語をキーワードにしています。

 私は、日本の特徴は「公」と「私」の断絶ではなく、「私共空間」の存続に課題があるという立場をとっています。「私共空間」の人間は、基本的に個人主義の立場をとらない。なぜならば、個人を尊重しようとすると、自分だけでなく、自分と異なる考えをもつ他者も尊重しなければならない。同じ考えをもたない人間は、「私共空間」から排除する必要があるので、個性は尊重できない。これは、全体主義とも違う。「私共空間」を国全体に広がる必要はない。「私共空間」は本来は「公」の空間でありながら、他の考えに従いませんから、「公共」という思想そのものがない。あるのは「わたくしども」だけ。

 学校や企業のいじめ、問題の隠蔽体質、家庭での虐待などもここに原因があり、「他者に開かれる」ことを嫌う。ですから「活私開公」は非常に高いハードルになっています。

 結果として、問題を解決しようとすると、強制力を伴う法、国家の権力によるはたらきかけが必要になる。

 だから「私共空間」の人間にとっては、悪循環しか存在しない。

 文部科学省は、今後の教育政策について、以下のように考えていると想定できます。

 国は大きな目標や基準を示し、具体的な内容は地方が決める。実践レベルの基本路線は地方の自律性に任せる。ただし、国民としての学力水準を保障するため、その担保として全国学力調査を実施する。

 地方主導の教育こそが改革の目玉であるべきで、その点では犬山市は全国に先駆けています。しかし、犬山市の論理が「公共」ではなく「わたくしども」であることを、全国学力調査不参加という態度で示されてしまった。

 「評価」アレルギーは、「他との比較」という「私共空間」が最も嫌うことを公開の場でされてしまうことに起因しています。

 日本に「公共空間」をもたらすことができるのは、国でも地方でもないとすれば、どの機関なのでしょうか。

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    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
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