学力調査の結果の公表を見据えて
自治体が実施している学力調査や今回の全国学力調査で、仮に基礎学力の定着が不十分であると客観的に判定される学校が明らかになったとします。
当然、学校や教育委員会は、何らかの対応をせまられます。まさか、教育社会学者のように、「ここの地域は経済的に恵まれていない家庭が多いから、このような学力で精一杯です」などと保護者に言えるわけがありません。社会的弱者であることを前提に、社会的弱者のままであきらめさせることが教育の役割ではありません。
教師は、「競争を学校内でも導入し、得点力の向上をめざす」などと言うべきでしょうか。どうも発想があまりに短絡的な教師が多いようで、校内の研究・研修体制の不備、学校評価と教育課程編成時のいい加減さ、教師集団の問題解決能力の低さを露呈しがちになります。
まず、学習指導要領の目標に照らして適切な指導をしてきたのなら、それを裏付ける資料を公表すればよいのです。学校公開だけでも十分です。各教師の研究・研修計画やその結果を発表する場を設ければよいのです。紙上でも十分です。指導が十分で、評価も高いにもかかわらず、学力調査の結果が悪かったとすれば、問題は明確です。
もし指導や評価、研修が不十分だったとしたら、それを改善する方法を考え、理解を求めればよいのです。ただ、そのような現状があったとしたら、税金を増やして教師の数を増やすことは国民の同意を得られないでしょう(教師の給与をカットするなら別ですが)。ベテランがだめで新採が優れている場合もあるでしょうが、数は限られます。
現行の学習指導要領の趣旨を考えれば、「競争主義を導入する」ことをねらいとしてはいないことは明らかです。ただし、個性の伸長を含めた「能力主義」は、規範意識のようなものも含め、教師にも子どもにも求められる時代になっています。
仮に、学力調査の結果の公表によって、点数による学校の序列が図られたとします。そのとき、教師が子どもにどのようなメッセージをかけられるかが、教育の品質というものです。
デメリットをメリットに転換させる創造力は、もしかしたら子どもの方がもっているかもしれません。それを発揮できる学習機会は、総合的な学習の時間で保障されています。内容とその質を保障するのは教師です。
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