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「世間」と「私共空間」

 ドイツ中世史が専門の歴史学者である阿部謹也が著書『「世間」とは何か』で述べている「世間」は、私の造語「私共空間」の範疇の中で日本的な要素を強く含んだ空間を示しています。

 阿部謹也は私風の言い方では、学会や学者たちの「私共空間」に嫌気がさし、公共空間の中で真理を追究しようとした人物です。昨年9月に亡くなられてしまったのが悔やまれます。

 阿部謹也が言いたかったことは「はじめに」と「序章」で100%理解できます。

 日本の学問の問題を、「叙述の中に自己を示すことができない」こととし、その理由について以下のように述べています。『「世間」とは何か』(講談社現代新書、5ページ)
 
>西欧の学問や技術を輸入しようとした政府や開明的な人々は、世間という言葉を捨てて社会という言葉をつくった。そのとき古来の世間という意識に基づく社会認識を形のうえでは放棄し、西欧的な形式を選んだのである。

 しかしそれは西欧の形式の根底にある哲学や世界観をもたず、形のうえだけの模倣であったから容易に輸入できたが、その形式は一般の人々の意識から程遠いものであった。

 わが国の社会科学者は、学問の叙述に当たっては西欧的な形式を用いながら、日常生活の次元では古来の世間の意識で暮らしてきた。したがって叙述の中に自己を示すことができなかったのである。

 日本人は「公共空間」より「私共空間」を重視する・・・ことの事例と背景について、阿部謹也の考察を学校現場の「個人」不在の「私共空間」と関連させながら見ていきたいと思います。

 
 

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より