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阿部謹也の「世間」と「私共空間」 その2 互酬関係

 宝くじ当選者の話は、よく日本と欧米の文化の違いを示す例として紹介されることがありますが、阿部謹也も「世間」の構成原理から説明しています。

 日本では、欧米のように、1億円が当たった人が公開され、その使いみちを誇らしげに紹介するような機会はまずありません。私ぐらいの世代だとそれほど強く感じませんが、阿部謹也は「当籤者の名前が発表された場合、おそらくその人の親族や世間を構成する人々、あるいは何の関係もない人からさえ金の無心が相次ぐであろう。親族や世間を構成する人々は自分も何らかのおこぼれにあずかる権利があると思っているのである。」と述べています。

 日本人は、世間の中で、世間の評価を気にしながら生きている。「私共空間」に生きている人間にとって重要な評価とは、その中での評価であって、外部からの評価、公共空間からの評価ではないのです。

 たとえば「いじめ」ている集団にはそれなりの論理があり、外部から「それはいけないことだよ」と言われても、聞く耳を持たない場合がある。

 また、「私共空間」の評価は、長幼の序のように実ははじめから決まっているのであって、改めて評価するまでもない。これが、学校で言えば「学校評価」を面倒くさがる原理でもあります。「自己評価」ですら、拒否する教師がいるわけです。自分の立ち位置は、わたくしどもの「世間」の中であらかじめ決まっているのであって、管理職のような「外部」の人間に指示される覚えはない。そもそも「私共空間」は内部での関係性を変化させないのがルールであって、組織を改善するなどもってのほかである・・・。

 ところで、評価を報酬に直結させる、企業のような手法はどう捉えたらよいでしょうか。

 「優秀な教員のやる気を高めるために金銭的な報酬を」というのは、教員免許をもっていない事務職員の発想であり、ごくわずかに実行されていますが、そのやり方には私は賛成できません。

 能力が低い教師の昇給をストップし、実績をあげた教員にその分をまわす。これは、教師集団という「世間」の中では、互酬の原理に真っ向から逆らう政策ですが、これで「公共空間」化は図れるのでしょうか。

 私なりの表現をすれば、この政策は公的な「私共空間」による強引な「公共空間」化です。

 公共空間で仕事をすべきであるという自覚、目覚め、それを促せるようなコンピテンシーモデルを創りたいものです。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より