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いじめ被害者を救う「公私共同空間」づくり

 「いじめ」を許さないという「空気」は、最近では、自殺報道や教育委員会批判とセットにして、どちらかというとマスコミを主導にして行われてきました。あとは現場に、その「空気」をいかにふきこむかにかかっています。

 教育失敗学では、いじめの発生、継続、隠蔽、悪化などのメカニズムを解明していきたいと思いますが、究極的には、「私共空間」をいかに「公共空間」に転化できるかが勝負であるという立場をとります。

 社会問題の解明・解決を「政府の公」「民の公」「私的領域」という三領域から研究する学問として、「公共哲学」というものがあります。手頃な入門書としては「公共哲学とは何か」(山脇直司著、ちくま新書)が最適です。

 私なりの表現でいうと、「政府の公」のうち、本来の公共性が生かされていない場を「公的な私共(わたくしども)空間」、「民の公」のうち、本来は公共性が求められるのにそうなっていない場を「私共空間」、プライベートが最優先される場を「私的空間」と呼んでいます。

 公共空間は、「政府(行政機関や学校などの公的機関)の公」と「民(国民、住民、市民、学校の生徒たちなど)の公」がきちんと互いの義務や責任を認識しつつ、正しく振る舞うべき場なのですが、日本では、ここが特に弱いとされています。私は、弱さを克服するために、単純な「公共空間」という言葉より、「公私共同空間」という用語を使いたいくらいです。

 東京大学出版会の「公共哲学 15 文化と芸能から考える公共性」97ページに、以下のような話が紹介されています。

 

日本に長く滞在したある米国の学者が、「日本人は公と私の間に何もない。あるのは「無規範の空間」だけだ」と言いました。・・・自分の家の中で勝手に小便をする人はいない。また官庁や総理公館で小便をまき散らす人もいない。しかし、道路公園では誰でもやっている。だからそこは完全に無規範な空間である。
 

 私は、そういう真空状態があるのではなく、「私共空間」という特殊な空間があると考えます。

 学校に特有な「私共空間」(作り手は教師の場合もあれば、いじめのように生徒の場合もある)の例を教育失敗学でふれてきましたが、それを破る最善の策は、真の公共空間、「公私共同空間」の創造です。

 このことをしばらく考えていきたいと思います。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より