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齋藤孝「教育力」から教師の「逆コンピテンシー」を読むーその13  二つの時間を生きる

 生徒との対話,教材との対話を両立させる
 (逆コンピテンシーその13 目的意識をもたせることができない・・・「戦略遂行力」などに課題)
 失敗例では,「42:独り言で子どもの思考放棄をさそう。」に関連があります。
 ☆☆☆失敗例については,HP版でご覧になれます☆☆☆
 授業では,「いま,いったい何のやめに何をやっているのか,を常にはっきりさせる習慣をつける」ことが必要です。教師はよく集中力を高めたり,気分転換を図るために『脱線』という手法を使います(生徒の発言から脱線させることもある)が,もとの位置に戻るとき,あえて教師自ら本題を示さずに,「あれ,何の話をしていたんだっけ」と質問して,脱線箇所にバックさせる(あるいは脱線を逆にたどっていく)という方法があります。これによって,生徒に目的意識を自覚させることができます。
 参考で引用した箇所に関連して言うと,教師は生徒との対話を楽しみながら,教材との対話を忘れないようにする必要があります。授業はつねに教師と教材のティームティーチングであり,教材と生徒,生徒と生徒,生徒と教師とのティームラーニングです。

参考 齋藤孝「教育力」(岩波新書) 104,105頁より
「対話においては,―そして授業においても―いくつかの見通しを持つことが必要だ。相手と対話しているわけだが,頭の中では意識を常に二つの線路の上に走らせるようにする。一つの線路は,相手(生徒たち)と一体化している感じ。そこで一緒の時間を生きている感じである。もう一つの線路では列車は少し先を走っているのだ。先に置き石がないか,などを見ておく。そして,こっちへ行ってはだめなのだなどと,あとの電車に指示を送るのだ。それを私は『二つの時間を生きる』という具合に表現する。」
「複線的な意識で二つの時間を同時に生きることが,授業を展開させていく上で大事である。」

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より