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齋藤孝「教育力」から教師の「逆コンピテンシー」を読むーその6 教育の成果

 教育は太陽か,惑星か,それとも衛星か。
 (逆コンピテンシーその6 目先の成果を求めたがる・・・「成果」の分野などに課題)
 失敗例では,「24:目先の利益を優先するものに勝てない」に関連があります。
 現在のいわゆる「ゆとり教育世代」=「低学力世代」という公式は,文科省をはじめ,各自治体,マスコミでもすでに「定理」になってしまっているのでしょうか。
 平成10年版教育課程の目玉であった「総合的な学習の時間」の内容を知らない一般の方々も,大臣の「君たちは失敗作だ発言」を信じ,「百ます計算」のような単純な能力向上策に惚れてしまいました。
 総合の時間の創出や週5日制対応のための教科の学習時間の削減は,たしかに学習内容量のカットを意味していましたが,消化不良をなくすことにねらいがありました。「ゆとり」を目指したわけでなく,「習得率アップ」を目指したわけで,評価も相対評価でなく絶対評価に移行したことからわかるように,「すべての子に力をつける」ことがねらいでした。
 私は学習内容3割減を,「1万円のフルコースをやめて7000円のハーフコースにし,しっかり味わい十分に消化し,栄養にすること」と解釈しています。よくできる生徒の「発展的な学習」もより見やすくなり,習得が不十分な生徒の「補充学習」も力を入れられてきています。
 この指導要領は中学校では平成14年度に完全実施になりましたが,もうこれが失敗だと言いきれるのでしょうか。現行の教育課程に対する批判は,特に総合の時間に力を入れてきた教師たちには大きなダメージになります。しかしもともと自信もなく実践していたのであれば,見直すことは必要ですが。
 総合ではなく教科指導における斎藤喜博の言葉を紹介している部分があります。

参考 齋藤孝「教育力」(岩波新書) 28頁より
「成果が目に見えず,感謝されないことも当然ある。『教育という仕事ははかない』と斎藤喜博はよく言っていた。・・・中略・・・教育では,いわゆるリターン(報い)というものが,必ずしもはっきりしない。だから,『何をやったから,どのくらい見返りがある。じゃあ,このぐらい見返りがあるんだったらやります。見返りがないのだったら,やりませんよ』という,そういうギブ・アンド・テイク的な人間関係しか結べない人には向いていない仕事だといえるだろう。」
「太陽は,見返りを求めない。ひたすらエネルギーを放射し,地上の生命を生かしている。教師は太陽のようでありたい。」

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より