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齋藤孝「教育力」から教師の「逆コンピテンシー」を読むーその7 学習の意味

 勉強が知的向上心を磨く砥石になっているか
 (逆コンピテンシーその7 何のための学習かを語れない・・・「成果追求力」などに課題)
 失敗例では,「14:具体的な目標を描けていない。」に関連があります。
 齋藤孝は著書「声に出して読みたい日本語」の頃から,教養主義的な立場の学者だと思っていましたが,やはり「内容重視」より「学び方重視」にしてしまった現行の学習指導要領に関しては,批判的な立場をとっているようです。
 教師の失敗例として「テストに出るから覚えなさい」式の指導はあまりにもレベルが低いために紹介しなかったと思いますが,子どもが喜んだり集中したりするため,ついついやってしまうことです。塾はそれで食べているのでしょうが,最近は塾や予備校の授業が学校には求められている・・・なんて話になっています。
 小数や分数ができない中学生を問題にするのか,1200字で1つのテーマについてまとまった文章が書けない中学生を問題にするのか,教育に関する議論というのは,どのレベルの話をしているのかがよくわからないものがあります。「書き手の価値判断も含み,個人的な経験というものもどこか行間からにじみ出るような形で,しかも知識の豊富さも示すような形で文章が書き上げられる,そういう能力がいま求められている。」(「教育力」31~32頁)という話は,相当高いレベルの話ですね。
 目標というものをどう設定するか,それがまず指導する上では重要です。
 目標を生徒にしっかり示すことができれば,いまなぜこれを覚えなければいけないのかも説明することができます。
 なお,優秀な教師は,豊かな教材を武器にして子どもに力をつけるので,「教材が知的好奇心を磨く砥石」の役割を果たすことになります。教師の役割は研ぐときの水でしょうか。

参考 齋藤孝「教育力」(岩波新書) 31頁より
「個々の知識を陸続きにするような説明の仕方が教師には求められる。教師というのは,当の知識を記憶する必要性を説得力をもって語れないといけないのだ。それは大きく言えば,「文脈力」ということになろう。」
 36頁より
「私たちの社会にとって,この知識は必要だ」と考えて,カリキュラムを組んでいるのだ。そのカリキュラムをきちんとこなすプロセスを通じて,知識とともに向上心を技化していく。これが教育の主たる役割である。」

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より