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齋藤孝「教育力」から教師の「逆コンピテンシー」を読むーその8 真似る力

 教育力のある教師は教師も育てる
 逆コンピテンシーその8 ・・・「成果統合力」などに課題)
 失敗例では,「19:活かすよろこびを与えていない」「38:優れた実践を眠らせてしまう」に関連があります。
 人事考課により,教員の昇給に差がつけられるようになっています。昇給がぐっと早まったり昇給停止になる人は,ごくごくわずかですが,いい先生のやる気を引き出すため,だめな先生に気合いを入れるために必要だと管理する側の人はいいます。東京都の場合は,自己申告による能力開発とセットになっているので,評価が一方的に決められるものでなく,年間最低3回は評価する管理職と面接して意見交換や指導が行われます。
 私が提起している教師のコンピテンシーモデルは,そもそもそのような人事考課をスムーズに進めるためのもので,トラブル防止の想定がたくさんあります。
 たとえば,成果主義的な評価の導入に反対する人に多い意見として,「教員間の仲がギクシャクする」というものがあります。この人はすでに「戦略立案力」「戦略創造力」に課題があるのすが,「ではギクシャクしない方法を考えてください」と言ってしまうと喧嘩になるかもしれないので,「成果統合力」を特に重視する職務目標を考えてもらうのです。
 ごくまれに力のある教師同士が仲が悪く,つまり「対人関係力」が低レベルで,自分の優れた指導力を新任の先生や異動してきた先生に伝えられない人がいます。この場合はちょっと話が複雑になりますが,要はすべてのコンピテンシーで100%完璧な人というのは,まずいないのです。
 いたとしたら,だれもが認めるわけですから,その人の昇給が早まったとしても文句はでないでしょう。
 「成果統合力」は,チームでの成果を志向するわけで,それは学年でも分掌でもプロジェクトチームでも,成果は関係した教師が共有できます。
 コンピテンシーモデルのいいところは,成果のアップの連鎖が想定できることで,学校改革が加速化するきっかけになるところです。
 人事考課は,現場の管理職の立場で言うと,「いい先生」と「だめな先生」に分けるための制度ではなく,力のある先生に課題のある先生の力をアップさせる「対人指導力」「対人変革力」「成果統合力」「効率調整(組織効率極大化)力」を強く要求するところに力点をおくべきなのです。
 能力に課題があることを自覚している教師には,「真似る力」と上達の技化が求められるわけです。

参考 齋藤孝「教育力」(岩波新書) 49頁より
「上達ということで言うと,ある事柄がうまくなるときに,それだけがうまくなって終わりの人と,そのことを通じて上達力とでもいうべき応用の効く力が身につく人とがいる。」
「勉強や部活動を通して上達の普遍的な原則を相手に伝えるのだという意識を常に持っている人が,教育力のある人だと私は思う。」

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    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
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    「沙中の回廊(下)」より
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    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より