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齋藤孝「教育力」から教師の「逆コンピテンシー」を読むーその9 段取り力

 教師に必要な科学的精神
 (逆コンピテンシーその9 失敗する勇気と機会が少ない・・・「自己変革力」「論理追求力」などに課題)
 失敗例では,「9:頭を使えと指図してしまう。」などに関連があります。自信をもって堂々と失敗している人を見ると,失敗を指摘されないで年数だけたってしまった気の毒さを実感します。
 段取り力の最大の発揮場所は,1時間1時間の授業です。研究授業という場では,授業者は必ず「指導案」というものをつくり,参観者はこれを参考にしながら授業を分析し,意見交換を行います。この「指導案」を見ると,段取り力(戦略立案力にも近い)が如実にわかります。
 研究授業は本来,授業を科学的に分析し,多くの失敗を洗い出して,互いの教訓とするものです。私の経験では,小学校ではわりと鋭い意見が飛び交って,協議そのものに意味がありますが,中学校の校内研究では教科の専門家に対して苦言や疑問を呈するのは失礼と考えてしまうのか,授業者へのご機嫌とりか生徒の低学力への嘆きの共感で終わってしまいがちです。ですから教科別に行われる研究会が大事なのですが,全中学校教員の中で,たとえば10名以上の参観者がいる研究授業を年に1回必ず実行している人は何人いるでしょうか。そういう研究授業を参観している人は何人でしょうか。初任者研修の他に10年経験者研修が始まり,法律の縛りによって絶対に行わなければいけない教員を除いて,1年に1回も研究授業をやらない人は何%くらいいるでしょうか。
 よく初任者のころ,授業はたくさん見てもらって,若いうちにたくさん恥をかいておけと言われました。暗黙のうちに,ベテランになったら恥はかけないぞという常識を知らされたわけですが,ベテランこそわかりやすい失敗をたくさん犯しているもので,そういう意味で,「師範授業」はたいへん役に立つのです。
 「教育力」では,エジソンの電球のフィラメント研究で,多くの失敗を「それが駄目だということがわかった,という意味で成功であると考える」意味についてふれています。
 生活指導関係の著書が多い(と私が勝手に思っているだけかもしれませんが)家本芳郎の「挑戦!教育実践練習問題」(ひまわり社)は,齋藤孝の段取り力の問題集として,笑える本です。
 「教室の窓の開け方」「授業中寝ている子の起こし方」など,堂々と多くの失敗例を紹介しています。


参考 齋藤孝「教育力」(岩波新書) 63頁より
「まずい料理の理由はいろいろあるに違いない。あまりいろいろありすぎて,直しようがないとする。その場合,『まず,こことここは言うとおりにしてごらん。その上で,塩加減だけはおまえに任せるよ』と言って,それでまずかったら,それはおまえの塩加減が悪いんだということになる。それと同じことだ。まずこういう進歩のある科学的,合理的なものの考え方というものを,学ばせなければいけないのである。」

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より