ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 齋藤孝「教育力」から教師の「逆コンピテンシー」を読むーその9 段取り力 | トップページ | 齋藤孝「教育力」から教師の「逆コンピテンシー」を読むーその11 クリエイティブな関係 »

齋藤孝「教育力」から教師の「逆コンピテンシー」を読むーその10 研究者的な態度

生徒が教師に求める「ぎりぎりのところ」とは?
 (逆コンピテンシーその10 新しいことにチャレンジしない・・・「戦略遂行力」「情報追求力」などに課題)
 失敗例では,「27:内容で勝負できない。」「28:実態からの出発ができない。」に関連があります。
 私が「研究者的な先生」と聞いてまず連想するのは,「他人と同じことをしない,オリジナルを追求する教師」です。しかし,一般的な現場では,「いい評判の実践をまず真似してみよう」と言って,百ます計算や朝の読書など,同じことをやろうとします。成功例ももちろん多く,そういう本の出版に情熱を傾けている教師もいます。
 気をつけなければいけないことは,子どもというのは,物まねやパクリはすぐに見破り,教師への尊敬や信頼,期待を失うことがあるということです。ある料理のかくし味に塩を入れるのが最適だからといって,別の料理にも塩が使えるとは限らないように,物まねには限界があります。
 せめて教師には,「あの子どもたちにはあの指導が効果的であった。私の受け持つ子どもはこうだからこういう味つけもしてみよう」など,プラスアルファをする意欲がほしいものです。 

参考 齋藤孝「教育力」(岩波新書) 67頁,69頁より
「単に唯々諾々と聞く姿勢ではなくて,一つのことをいろいろな面から見ることができる力,この視点移動力を子どもたちに身につけさせたい。そのためには教師自身に,そのように問題を掘り返して,新たな角度から見る習慣がほしい。それが研究者的な態度ということになる。」
「教師の研究者的視点が生きている授業では,生徒たちはいま,この先生が工夫して,新しい解釈で臨もうとしていることがわかる。そういう試みは研究授業で発表されることが多い。その場合,ほかの学校の先生も大勢見に来るから,先生自身も緊張している。学会の発表のようなものだ。そうなると生徒もほうも「ああ,この先生はぎりぎりのところでやっているな」と思うものだから,一所懸命に協力しようとする。すると協力しようとしているうちに,理解が深まる。」

« 齋藤孝「教育力」から教師の「逆コンピテンシー」を読むーその9 段取り力 | トップページ | 齋藤孝「教育力」から教師の「逆コンピテンシー」を読むーその11 クリエイティブな関係 »

教育」カテゴリの記事

齋藤孝」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック

« 齋藤孝「教育力」から教師の「逆コンピテンシー」を読むーその9 段取り力 | トップページ | 齋藤孝「教育力」から教師の「逆コンピテンシー」を読むーその11 クリエイティブな関係 »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より