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日本人は「公共空間」より「私共(わたくしども)空間」を重視する 前編

 私共(わたくしども)空間というのは、私の造語です。

 公共の空間の中で、本来は公的にふるまわなければならないのに、個人や一部の人間たちが、自分や自分たちの欲求を満たすことを優先し、実行している空間のことです。

 一番わかりやすいのは、電車の中の携帯電話による通話。個人で勝手にやっているようでも、相手がいるので当人にとっては「私共空間」です。音楽を聴いている人も、(録音ではあるが)演奏している人がいるから「私共空間」。これらについては、鉄道会社の社員という、私企業の中でも公共性の高い仕事をしている人によって、放送による注意がなされることで抑制されています。しかし、少人数のグループが、大きい声で話したり、おかしやパンを食べたりすることはよくあります。化粧している人も、個人かというと、鏡の中の自分と化粧している自分がいるから「私共空間」。

 公共空間より、「私共空間」の方が、居心地がよいのでしょう。これは、公共空間のマナーを守っている人からの、「迷惑しているぞ」という空気のプレッシャーをはねのける威力を持つ場合もあります。

 指導力のない教師の授業では、一昔前まで「私語」が大問題でした。これは、公共空間にいながら、勝手に(私的に)離脱されてしまっている状況です。

 時間を守らない教師の話を先日書きましたが、「公共空間」より「私共空間」を優先する逆コンピテンシーです。
 小学校でよくある「学級王国」。自分の専門(なぜ小学校の教師のなのに「専門」があるの?)教科ばかり教える教師。教室は、「私共空間」です。

 いじめというのは、「私共空間」の居心地をよりよくするために、「公共性を重視する人」「私共空間の空気が読めない人」を排除する行動です。「私共空間」のうち、排他的性格が最も強いのがこれでしょう。

 世界史未履修の学校。これは、「公教育」を「私共(わたくしども)教育」にしてしまった例です。

 入学式・卒業式という、学校外部の「来賓」や保護者までが大勢集まっている公共性の非常に高い「儀式」としての空間の中でも、「私は君が代が嫌いだからピアノ伴奏はしない」という「私共空間」を優先しようとする教師。これは反対する仲間がいるからできる。弁護士という職業の人はお金を払えばいつでも仲間になってくれる。

 壁の落書き、駅前の自転車の放置、団地のペット飼育、授業中の携帯メール、・・・・「私共空間」は、日本のありとあらゆるところにあります。

 問題性が低いものには、大相撲の枡席。野球のボックス席。特急列車の個室。カラオケルーム。これらは「私共空間」ではなく、単純に「私的空間」と言えるものです。

 日本人はなぜこうも「公共空間」の力が弱い=「公共性が乏しい、公共の精神に欠けている」のでしょうか。
 
 私は、これを日本の歴史的経緯から説明できます。
 また続きは後日。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より