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齋藤孝「教育力」から教師の「逆コンピテンシー」を読むーその5 余裕

 未熟な教師がベテランに勝てる理由
 (逆コンピテンシーその5 余裕がない・・・「自己展開力」「効率追求力」などに課題)
 失敗例では,「33:自分の余裕のなさを子どもに伝えてしまう。」に関連があります。
 齋藤孝の想定する教師はけっこう水準が高い(大学の教員レベル?)ためか,読んでいるとベテラン教師も油断できない箇所が見つかります。
 「教育において『新鮮さ』は決定的な重要性を持っている。」というのは,たいへん強気な表現ですね。「安定感」も否定はしていませんが,「新鮮さ」が「決定的」とまで書かれると,たしかにテレビ業界ではそうだろうなとか,いろいろ頭に思い浮かぶものはあります。私の想定する逆コンピテンシーである「余裕のなさ」は,齋藤孝によると「新鮮さ」に読み替えることができます。
 テレビなら飽きたらチャンネルを変えることができますが,生徒が授業をエスケープしたら連れ戻されることになる。そう考えると,「授業に40人を拘束できる教師の権利」というのは,強力なものです。
 保険会社の比較研究をしているサイトで,「信頼できる営業担当者の条件」として,「余裕やゆとりが感じられる人」と書かれており,なるほどと思ったことがありました。私が出会った営業の方の話は様々な点で新鮮でした。
 「新鮮さ」は,やはり未熟さよりゆとりから生じるものがベストでしょう。テレビの露出頻度が高いみのさんやさんまさん,タモリさんには「ゆとり」がありますよね。
 「ゆとり教育」は,そんなコンピテンシーを子どもに持たせるような教育を目指すべきなのでしょうか。

参考 齋藤孝「教育力」(岩波新書) 4頁より
 いわゆる「教師臭さ」は,学ぶ側の構えを鈍くさせてしまう。型どおりの教え方が染みついてしまっている,という印象を与えてしまうだけで大きなマイナスになるのだ。「決まり切った感じ」を印象として与えないようにすることが大切である。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より